東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

メッセージがあるか、ないか。・・・その2。

おはようございます。
昨日は、からだの感覚をききわけ、からだから学ぶということを、具体的にどうしたら良いかというところまでで終わりました。


 操体には、橋本敬三先生が世界一短いお経である「般若心経」になぞらえて、「般若身経」と命名した、からだの使い方、動かし方のすべてに適う基本原則があります。
 この「般若身経」も、ただ見よう見真似で行うだけでは本来の意味は無いのです。からだの使い方、動かし方には自然法則がありますから、その法則に則り、からだを使い、重心を移動して、からだ全体を連動させて動かさなければなりません。(注:からだの使い方、動かし方の法則については、なるべく最新のものを参考にして下さい。)自分の心の意識レベルの基準で、「この方が動きやすいから」と、法則を軽んじて行っても、「快」にはつながらないのです。誰しも様々な環境とかかわって生きており、生活そのものにストレスは生じます。そして、その精神的、肉体的ストレスから、からだに歪みを生じさせています。
これは潜在的な無意識の領域であるからだが、内臓や中枢神経など自らを保護、保持する為や全身を支持する為に、自らを歪ませて対処してくれている、という面が多いのです。しかし、からだの歪みも間に合っている内は良いが、間に合わなくなってくると症状疾患の原因となってしまいます。間に合わない状態にしない為に、動きも本来の動きを封じ、窮屈な動きとならざるを得なくなってしまいます。そして本来の自由なからだではなくなってきてしまう。だから、表在的な意識は自分の動きとして「この方が動きやすいから」と感じてしまいますが、本来のからだの動きとは違うのです。現に「この方が動きやすいから」という動かし方で、その動きをそのまま続けると不快感が生じたり、動きが逆行するという現象が起こってくるのです。確かに自分の動きでも、ある範囲内ならいつもの使い勝手の良さから「楽」に動かせると思うかもしれませんが、度量の大きいからだの支えがあってこその「楽」なのです。
 ですから「般若身経」を行うときは、自分がからだを支配しているといった心の意識の持ち方ではなく、自然の一部である、からだによって自分が支えられているといった心の意識レベルでからだと向かい合う。そして自然法則に則り、ゆっくりとからだを動かし感覚をききわけるということが大切です。感覚をききわける中で、からだからのメッセージを感じとってほしいのです。注意事項としては「痛い」「ツライ」などの不快感覚が生じたらすぐに中止すること。「不快」という感覚も、なぜ不快感が生じてしまうのか日常生活を振り返る意味では大切ですが、振り返るということは思考するということですから、自然法則を理解し、自然法則に照らし合わせてどうなのかという思考が必要です。自然法則に則した動きをとおしていて、「気持ちよさ」がききわけられたなら、気持ちよさに委ね、十分に味わうことです。その味わいの中で心の意識レベルを超えた何かを感じ取ってほしいのです。それは人によってそれぞれ違いますが、共通しているのは、前向きにより良く生かされて生きていく為のものだということのようです。
 「般若身経」は基本的には立位で行う為、はじめから気持ちよさに委ねて十分に味わうというのは難しい面があります。バランスよく立つという事だけでも奥が深いのです。まずは、からだの使い方、動かし方の自然法則をしみ込ませるようにして、からだと調和していくことが先決です。その調和が高まれば、立ち方も自然とバランスよくなって来ますし、立ち方のバランスがよくなれば、快の味わいも変わってくる。そしてまた新たなバランスへとより良く更新されていく。そうした快に従った調和の循環の中で、心の意識レベルを超えた何かを感じとり、また新たな調和へと進んでいくのが正しい道筋と思います。


友松 誠。