東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

Are You Experienced?

東京操体フォーラムの実行委員は、「楽(な動き)」と「快(適感覚)」の違いを知っている。

何故知っているかというと、味わったことがあるからだ。知らないことは色々妄想するとか、今までの体験から憶測するしかないのだが、一度体験すれば「それ」が一体どんなものなのかすぐにわかる。当たり前の事なのだが、あまり実行する人はいない。

何かに興味を持ってその「何か」を体験、あるいは勉強しにいく人は100人に1人だそうである。「何となく面白そうだな」と思っても、実際アクションを起こすのは100人のうち、たった1人なのだ。そして、それを続ける人はその「たった1人」が100名いたら、そのうちの「1人」なのだそうだ。すごいことではないか。というのは、操体法東京研究会の講習に参加して、その上の「臨床講座」にも出ると言う人は、本当に1000人に1人の人なのだ。

一番残念に思うのは、1年3ヶ月の学びを終えて、それで終わりにしてしまうことだ。受講生のK君が言っていたが、今まではクリームパンの「パンの白いとこ」を食べていて、これからクリーム食べるぞ!という時にやめてしまう。操体もそうだが、何事も(特に芸事系は)そんなに簡単に身にはつかない。これから一番美味しいところなのだけれど。
パンの白いとことだけ食べて「やっぱりあんまり美味くないや」と、諦めるのは本当に残念だ。あともう一口飲み込めば、クリームが待っているのだから。

「快」

操体で言う「快適感覚」を味わってしまう、特に質の高い「快」を体験してしまうと、それは細胞に組み込まれるというか、元々あらゆるイノチに存在しているものが、目ざめる、あるいは「快」の回路が開くような感じでもある。

イメージとしては、チャクラは「ある」ものだが、それは未開のつぼみのようなものだ。開くには修業が必要で、中には無理に開こうとして気が狂ってしまう人もいるらしい。私達がその「快」の回路を開くのは、やはりある程度の学習が必要なのだ。
それは「きもちよさを味わう」という体験を重ねることだ。

私は足趾の操法一般社団法人日本操体指導者協会商標登録済み)を指導している。これは操体の引き出しの中でも、最も「快の勉強」に適したもので、はじめてのクライアントにはこれを体験していただく。面白いのは、どのクライアントも、はじめてより二度目、二度目より三度目のほうがきもちよさを味わうことができるということ。
最初「不快じゃないけどすごくきもちいいわけでもない」というのが「背骨からアタマに響くくらいきもちいい」に変化していくのだ。私は幾多の臨床で「本当にきもちのよさを味わうという体験を重ねると、からだが学習するのだ」ということを知った。

最初から「きもちよさを味わうチカラ」というのはイノチに備わっているのだが、それはある日突然目覚めるとかそんなものではなく、
多分「自分を大切にする」「自分をいとおしむ」ということと、自然や美しいものに触れるという体験を経て育っていくのと、それが花開くきっかけが必要なのではないかと思う。

jimiが「体験」したものと操体は違うけど(笑)