東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「楽と快の違い その2」

昨日の続きになりますが「楽は表現出来て快は表現出来ない」理由を追っていきたい。

私は中学や高校生の頃、「気持ちが良い」という言葉を口にするのに抵抗があった記憶がある。幼少の時は気持ちが良い事に対して素直に表現出来たのだが、年を重ねるに連れて恥ずかしさが芽生えて来たので言葉にしなくなった。
それは恐らく「気持ちがよい」という言葉を学校の教育や社会が口にしてはいけないような教育をしているのも1つの要因ではないだろうか?つまり「気持ちの良さ」という意味を性行為等の意味でしか捉えずに卑猥な意味として風潮化しているように思える。それが人の潜在意識の中に「快」を無くし、「楽」を植え付けている気がする。人が楽な生活を送れるように物や技術が発達したことで人間の意識のベクトルも「楽」に向い「欲」の意識が高まってしまったのである。そうなってしまうと「気持ちの良さ」の意味は自ずと間違った方向に向いてしまい、言葉に出来なくなるのも仕方ないように思える。このように考えると楽な動きを表現出来るのは楽な生活にどっぷり浸かってしまっているからだといえる。

私自身もその一人であったが操体を学び「気持ちが良い」という言葉を自然に発することが出来るようになった。それは気持ちの良さを体感した事で、意識が変わり言葉で表現出来るようになり、心と体が「快」というフィルターを通して調和してきたからである。言葉に出来るか否かが体で表現出来るか出来ないかの差になっているのではないだろうか。

ここで橋本先生の言葉を紹介させてもらいたい。
「気持ちの良さで体は治る」
「言葉は運命のハンドル」

この言葉からも「気持ちが良い」という言葉を表現する事がいかに大切な事かが理解出来る。それが出来ないという事は気持ちの良さを認められないという事でもあり、自分に対しても自己否定的な気持ちがあるということにも繋がっていくのである。自己否定をすることは自分の生き方、存在を否定する事でもあり、それは体に歪みとなって表れる。現代は心の病気が非常に多いと言われているので「素直になる」ことも1つの治癒力になると私は思う。