東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「楽と快の違い その3」

私は楽と快を次のように表現する。
「楽」=自我(欲)
「快」=(心と体の)調和

では、何故このような表現をしたのかを説明していくと操体法には知っている方も多いと思いますが、第一分析、第二分析、第三分析‥‥といったように数々の分析法がある。有名なのが最初の第一分析で「どちらの動きが楽ですか?辛いですか?」といった比較対象とした分析法で辛い方から楽な方に動きを通し、2〜3秒のたわめの後、瞬間脱力し、それを2,3回繰り返すのが「楽」への問いかけである。それに対し第二分析からは「1つ1つの動きに気持ちの良さがあるか、無いかを体に聞き分けて、その気持ちの良さを味わう」という「快」へのアプローチになったのだがこの2つの分析法はそれ以外に大きな違いが出てくる。
それは施術者と患者の『意識』の方向性が大きく異なってくるという事である。
第一分析は操者が「決めつけ」で施術を行っていてその意識は「自我」である。操者の意識が「自我」なら、もちろん患者の意識にも欲が生じ「まだ足りない」、「もっとやって欲しい」となるのも仕方が無いことである。
それが第二分析になるとそういった操者の「決めつけ」はなく、患者の体の要求感覚に意識のベクトルが向くのでそこには自我は存在しない。この分析法は「体に聞き分ける」というのがポイントとなり患者の意識は関与せず、体に聞き分けた気持ちの良さによって己の心と体が調和し、症状が改善されていくのである。

このように考えると「楽」と「快」の違いは明白である。操者がその違いをしっかり理解しなければ患者は楽と快が混合してしまい気持ちの良さを探してしまい、どう動いて良いのか分からなくなる。
しかし、ここではっきり言っておきたいのが「楽」への問いかけを否定している訳ではないということである。今の分析法があるのも「楽」への問いかけがあったからであり、逆に「楽」の分析法を知らなければ「快」の分析法も理解が出来ない。第一分析にも臨床の効果はもちろんあるし、時には臨床で使う時もある。だからこそ「楽」と「快」を両方理解する必要がある。その違いを認識することが操体の臨床の行う上でとても重要になってくる。