東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

『私にとって操体とは宝の地図である2』

あなたは疑問に思ったことは無いであろうか。携帯電話にすらあれほど分厚い取扱説明書があるのに、何故私達のからだには取扱説明書がついていないのであろうか。からだの不調に悩まされている時、どうして自分のからだが壊れてしまったのかが書いてあるページを開くことが出来れば少しは体調不良への不安は解消されるかもしれないし、困ったときの対処方法が書いてあるページを開くことが出来れば、自分自身でからだの不調を改善することが出来ることが出来るかもしれない。しかし残念ながら私達のからだにはこのような取扱説明書は付属していないのである。その為に、体調を崩しては市販の健康関連図書を捲ってみたり、インターネットで検索してみたり、各種医療機関や薬局に相談をしに足を運ぶのである。そこではからだの状態に名前を付けてくれて、その状態を改善する為の情報や薬をくれる。私は操体を学ぶことで、からだは不快なことを体験することで、ボディーに歪みが生じ、症状や疾患が出現したことを知った。また同じく快感覚を体験することでボディーの歪みが正され、症状疾患が消失して来ることも理解出来た。

注釈:操体法創始者橋本敬三医師は症状疾患の発生したからだには必ずボディーの歪みが存在することに気付いた。そして長年の臨床の中で、気持ちの良さを味わうことでボディーの歪みは矯正され、気持ちが悪いことを無理に行うとボディーの歪みが悪化することを発見した。人間が持つ自然治癒能力は快・不快によってコントロールされているのである。

つまり快適感覚という目的地を目指して進めば、自ずから健康なからだというものが手に入ると云う寸法である。しかし、地図を見て解る様に決して一直線で目的地に到着する道なんてない。途中で交差点もあれば、行き止まりもあるかもしれない。もしかしたら山あり谷ありの険しい道のりが待っているのかもしれない。先日とある番組で完璧主義のまじめな人程ストレスからくる病気にかかりやすいという話がやっていた。恐らくこのようなタイプの方は、目的地までの道のりもつい一直線で進んで行こうと、壁を無理に乗り越えようと試みたり、少しでも早く目的地へ到着しようと全速力で走ろうと頑張ってしまうのかもしれない。快・不快というものは常に表裏の関係で存在し、どちらか一方しかない人生なんてあり得ないのではないかと思う。常に快と不快の中を漂いながら、より快の方向へと向かって行こうとするのが私達の生命感覚なのではないだろうか。