東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

自分にとって操体とは。〜個性(個の神性)を尊重し、調和を創造していくこと。・・・3

おはようございます。

操体法の初期は橋本敬三先生が正体術からヒントを得て、治療法として行われていました。しかし、橋本先生は症状疾患に対する方法論として、操体法を体系づけてきたわけではありません。橋本先生の著書には必ず、人体を四つんばいの獣物動物の図で示し、「人間―この動く建物」と題した診断と治療の原理が載っています。これを見た方なら症状疾患に対する方法論ではないことがお解かりいただけると思います。
症状疾患は、元々の正体が健康傾斜の歪体化のプロセスを経て、バランスを崩すうちに、現れてきた現象だ。

そのプロセスは以下のようになる。
環境の苛烈や自己最小限の責任生活必須条件である「息、食、動、想」の自然法則への背反がストレッサーとなり、心とからだにとってのストレスとなる。そのストレスの度合いによって、健康傾斜の歪体化が起こり、からだは運動系の構造と動きに歪みを生じさせて対処せざるを得なくなってくる。うまく対処できて、間にあっていれば良いのだが、からだの歪みそのものが生体にとってストレスとなり、感覚的バランスを崩してくると問題だ。
         からだの歪みにより感覚的バランスを崩すと
             ↓      
          感覚異常の発生(A)
             ↓
          機能異常の発生(A‘)+(B)
             ↓
          器質異常破壊の発生(A“)+(B‘)+(C)             
     となってくる。

つまり、症状疾患という病名診断が下されるまでには、プロセスの積み重ねがあるということ。
現代医学では、感覚異常、機能異常の段階でも症状疾患名をつける人はいるが、統一見解はなく器質異常破壊の段階になってハッキリした診断名と治療方針が決定されていると思われる。そして、このプロセス、特にからだの歪みが原因となっていることは認めていない。からだの歪みというと、他の手技療法家でも運動系の静力学的な構造の歪みには着目しているだろうが、動きという動力学的な面は見過ごされているのではないだろうか。しかし、正体の健康傾斜の歪体化のプロセスは、生体がストレスによって、運動系の構造と動きに歪みを生じさせ、感覚的なバランスを崩すことから始まる。そして、そこから不定愁訴・微症状という感覚異常 → 内部機関の機能的バランスが崩れ、精密検査を必要とする段階の機能異常+(感覚異常の継続) → 病理学的変化つまり内臓の器質的なバランスを崩す、器質異常・破壊+(感覚異常、機能異常の継続) と進行してしまうのだ。
 このプロセスは有り難いことに可逆性となっている。可逆性であるから健康回復のプロセスは、 運動系の構造と動きの歪みを整調復原することにより、第一に感覚異常が消失し、次に機能の働きが正常化され、最終消失として 器質異常変化や破壊も、その程度にもよるが再生、回復の可能性が出てくるのだ。
 この正体の歪体化と健康傾斜の可逆的プロセスの原理は、人間すべてに当てはまると思う。ただ、戦争で銃弾を受けたり、交通事故などで、いきなり器質異常・破壊に向かい、すぐに応急処置をしなければならない様な場合は通用しないかもしれない。しかし、その時点ではお手上げでも、リハビリの分野では大いに貢献できると思うし、社会の理解が今以上に深まれば、もっと早い段階から、運動系の構造と動きの歪みに着目し、バランスを回復させ、健康回復のプロセスをスムーズにしていくことが可能だと思える。実際に橋本敬三先生は、そのような観点から臨床に望まれていたと感じるし、高弟の三浦寛先生は一般的にはお手上げと思われる範囲を狭めるべく、動けない人でも「快」によって調和が成され、バランスを回復させる様、「皮膚へのアプローチ」を体系づけておられる。
 運動系の歪みへの着目は、様々な可能性を秘めている。しかし、運動系の構造だけ診てなんとかしても、時間・空間のかかわりのうち、再度歪んだ状態に戻る頻度は高くなる。また他力暴力的矯正にはリスクが必ず伴うということ。人体は構造があって、まぎれもなく動いているわけであるから、その運動系の構造を動かして診るということは必然であり、理に適ったことなのだ。しかし、もっと重要なのは運動系の自然法則を理解し、感覚をききわけさせるということ。動かして診るにしても、単に動けば良いというものではないし、「痛い」「ツライ」と警報が出ている動きを、そのまま継続させれば壊してしまう。
  人間一人一人は、皆違うし、生活してきた過程も違う。からだの歪みや、それに伴う健康傾斜の歪体度も違う。この症状だから、こうするといったパターンを、とおすやり方では、限られた範囲でしか貢献できないのではないだろうか。このような時代だからこそ、一人一人の神性を尊重し、歪体からの可逆的な健康回復のプロセスがスムーズに進むよう、一人一人に合った臨床が求められるのではないだろうか。運動系の自然法則に則り、動かして診て、本人にしかわからない感覚をききわけてもらい、その「快適感覚」に従うという臨床が、ますます必要とされてくると思う。


友松 誠。