東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

自分にとって操体とは。〜個性(個の神性)を尊重し、調和を創造していくこと。・・・4

おはようございます。

操体といえば橋本哲学、その「神人合一」の救いの生命観、未病医学を基とした捉え方なくしては、成り立たないと感じます。操体の臨床的な部分である操体法も、やはり橋本哲学なしには成立しません。初期の操体法は、動かしてみて「楽」か「ツライ」かの運動感覚差を確認する、二極対比の分析法でした。しかし、1982年、「気持ちよさをききわければ良いのだ、気持ちよさで治るのだからな」という橋本敬三先生の言葉により、「快」へのシフトチェンジが行われました。この頃の橋本先生は盛んに「気持ちよさ」という言葉を口にされていたと聞きます。
 このシフトチェンジする前の頃に想いをはせると、橋本先生はそれまで臨床では「楽」か「ツライ」かの二極対比の分析法を行ってはいたが、常に「これで良いのか、これで良いのか」と自問自答しながら、自然法則の究明に励んでいたのだと思います。
この自然法則の究明という事は並みのことではない。橋本先生自身も、昭和54年頃の講演の中で「からだがネ、8つきりしか動かないなんて、そんなことに気づいたのは、よっぽど年とってからですよ、若い時は、わからなかった。ともかく、ゴチャ、ゴチャ、動いていればいい、と思っていた。ところが、考えてみれば8つきりしかない。その動きに、やはり大事なルールがあるんですよ。大事なルール、約束事がね」と話されているように、からだの動きの自然法則の究明だけでも、並みの事ではない。ある一定の研究分野からの見解だけで納得できれば苦労はしないと思うが、「健康体としてのあるべき人間の姿」からの動き、となると途方もないことなのだ。並みの人間だったら、確実に途中で放り出していたと思う。しかし、橋本先生は何年も何年も追求し、更新に更新を重ねながら、からだの動きのルール、約束事に気づいた。その精進の基となったのが「神人合一」の生命観だと思える。求学備忘録の最後の方に「人が正しきにおれば容姿はおのずから端正となり、骨格は整い、筋肉も拘緊するところなく、内臓もその地位に安んじ、機能は互いに相調和して、健康である。」とあるが、「神人合一」の生命観から健康体とはこの様なことを指すのだ、と悟られたのだと感じる。そして、この様な健康体には、からだの使い方・動かし方のルール、つまり重心安定、重心移動の自然法則が自在すると気づかれた。その自然法則に合わせて、からだを動かせば8つしかないということになってくる。
橋本先生は確かに臨床では、正体術を基に、二極対比の「楽」か「ツライ」かの分析法を行っていた。しかし、同時に、文献でも明らかなように、重心安定、重心移動、連動の法則を説いている。つまり、動かして診るという臨床を重ねる中で、これらの自然法則が自在することをつきとめた。そしてまた、その自然法則を基に動かして診るという、自然法則の更なる究明の中で、観えてきたものがあった。それは、人間を人間の像たらしめているものが何であるかということだった。それがあるから、歪体から健康体へ逆転する自然良能作用がいかんなく発揮される。それに気づいた後も「これでいいのか、これでいいのか」と更に検証を重ね、「間違いのないもの」との確信に至った。それが1982年だったのだ。その確信による言葉が「きもちよさをききわければいいんだ、きもちのよさでなおるのだからな」だったのだと感じる。そして、そこまでの自然法則の究明と精進の原動力となっていたのが、人間一人一人には「神性相続権」が宿るという、救いの生命観と「生命現象創生の中心理念」だったのではないかと思う。
しかし、この時すでに橋本先生は85歳、手の震えも発症されていたと聞く。70代の頃の様に、その臨床をとおして自分が更に更新してきたことを、みせられる状態ではなかったのではないかと思える。時が間に合わなかったのか、それとも自分のもとで、臨床だけでなく自分の人生哲学を元からしっかり学んだ人達にしか伝わらない運命だったのか。
今から10年ほど前の平成11年に「哲学する操体 快からのメッセージ」という本が出版されました。その中に、故・橋本敬三先生の教えという項目がありますので、紹介します。
 今から30年も前のこと。私は学生時代、操体法の創始者である故・橋本敬三先生より「生命現象創生の中心理念」、つまり「宇宙生命論」を学ばせていただきました。
 それは、ワラ判紙に波状の輪を描き、「この世界は有機(化合物)より成りて・・・・・ウンヌン」、さらに「この現象の元なるエネルギーは二つの異質なるものの存在より成る。つまりは陰と陽の二極である。・・・・・ウンヌン」、そして「この二極の元なる起源は陰、陽未分の一なるものの存在、つまり太極である・・・・・」というような内容で、当時18か19歳の私には暗記程度にとどめるだけで、深く洞察するといった余裕はありませんでしたが、たびたび説明を受けることで、何か重要なことなのだろうということだけは心に止めていたのです。
 また、それと同じくして、師は科学最高の指導原理とよばれる弁証法や古代文字(ホツマ伝え、相似像)、日本神話、キリスト教の教え(特に救いと報い)などについても学ばせてくださったのでした。
―あれから31年。当時学ばせていただいたことが、年とともに輝き出してきたのです。それは“深く洞察して思考していく”という輝きであり、私や人間を知るうえで、あるいはイノチに宿る英知について少しでも学ぶうえで、とても大切だと思えてきたのです。
                   〜三浦寛先生著「哲学する操体 快からのメッセージより。 


操体法を橋本哲学ぬきで、単に臨床効果が高い、技術、テクニックとして捉えてしまうと本当にもったいないと思います。



友松 誠。