山本五十六氏の言葉。
「やる気を起こさせ やってみせ
やらせてみせて 合点させ
はだかにならねば 人は動かじ」
ある意味その通りである。
他者にいくら素晴らしいものだからやりなさい、と言っても、
まず、やる気がなければやらない。
動いてやってみせなければ見えない。
それを観る段階になったなら
体験させてみて それを言葉で納得させ
自らと他者は無くなり そのまま感じたままに
ああそうかという前に 動いていくのだろう。
自然法則を観ること、その言葉を受け入れること
臨床に生かすこと
『操体』を学んでいれば『報い=因果応報』も少しづつわかってくる。
しかし、その醍醐味は『救い』と『報い』のことを学ぶことにある。
ワタシも『救い』は全くといって良いほど知らなかった。
なので、初めて東京操体法研究会(当時操体療法研究会)で学んだ時、
橋本敬三先生の哲学思想『操体』の教えている『救い』の内容は凄いことだな・・と、
感じて鳥肌が立ったのを十数年経過した今もハッキリ覚えている。
『報い』を知っても『救い』を知らなかったらワタシはそれで満足しただろうか?
『生き方の自然法則』このことを知らずに『操体』を語るのはワタシは悲しく感じ、
『操体法』を治療法だと思っていること、コレも同じように悲しく感じる。
例えば、「力強く運動のように行う操体法」「スッパリ区分けできる簡単な操体法」
そんな考えでは『操体法』の指導者であっても、『からだ』の要求は掴めないだろう。
ワタシもそうだが『想念』に惹かれて『操体』を学び始め、ゆえに学びを『操体法』に繋げて思考する。
そもそも『生き方の自然法則』こそ、操体創始者橋本敬三先生、直弟子三浦寛理事長の真骨頂とも思える。
では、いったいあなたの『想念』は、いま、何に向き合っているのだろう?
臨床としての『操体法』を改めて考えると、橋本敬三先生の臨床と生命時間の関係は興味深い。
温古堂にて、三浦寛理事長が学んでいた時でさえ七十歳なのである。
これはうっかりすると、見逃してしまいがちな驚異的な臨床だと思っている。
日本の社会、一般的社会人であれば、ほとんど60歳を過ぎて定年を迎えて経過をつなぎ、
七十歳ともなれば、ほとんどの人は家にいる時間が多くなるのが普通だろう。
七十歳の橋本敬三先生を弟子時代、まさに目の当たりにしている三浦寛理事長はこう言っている。
「あの頃の橋本敬三先生は現役バリバリで、オレなんか全く手伝うことは無かったからネ」
「八十五歳頃の橋本敬三とは違って、患者全てを橋本先生が診られていた」
「だからとにかく、毎日毎日観ているしかなかった」
「今考えると、よくあの年齢であれだけの臨床をされていたと思うヨ」
(※聞いた話では、ある動診の際勘違いしている患者の足で肋骨の不全骨折をしたこともあったらしい)
失礼を承知の上で書いてみよう。
ワタシはこの話を聞いてから、高齢になる意味、その生き方の方向性にはとても興味を持っている。
確かに年齢は関係していない・・・いくつであろうと何かしら青春を感じる方もいて面白い。
その方達は子供と同じである。無我夢中になる意味、なにかやり続けることの面白さを知っている。
遊びが始めにあって、後から色々なモノゴトも、自然につながってくる面白さを知っている。
憧れを諦めない、大き過ぎずチョッピリの夢を紡ぐ面白さは、生き方の法則上とても大事なコト。
三浦理事長は言う、「夢中になれることには、若い頃から巡り会ったほうがいいヨ」と。
巡り会ったことに意識を向けていた橋本先生然り、三浦理事長然り、
若い頃からその分の葛藤もあり(快のことで総スカン等)、何度も考え直し、何回も立ち上がって、
それでも結論を出さず、充分に”間にあっている”のだから。
先人からの智慧に感じる面白さを味わい、
『イノチ』を通して純粋な”意識”にヒントをいただきながら『操体』を学んでいく。
一生を通じて感動できるなんて、ありがとうございます!という意識しか、感じなくなってしまうまで・・・。
2012年春季東京操体フォーラム研究会は4月22日(日)東京千駄ヶ谷津田ホールで開催致します。