『操体』は『天然自然の法則』として成り、『操体法』は応用貢献を成す・・・。
橋本敬三先生の哲学に触れるコトは、生命の波動感覚に触れていることでもある。
青春とは肉体の”成長”における一時期ではなく、
自己探求があればこそ味わえる生涯の糧であって”生長”なのだろう。
学んだことはその瞬間から生かす工夫をする。自然法則に適うように今の『環境』に向かい合う。
(『食』の同時相関相補性)
食べ物の好き嫌いはあるかどうか聞いてみて・・・納得すること。
記憶されたトラウマにより、今でも「鶏」は食べないと、数人から聞いたことがある。
共通しているのは、卵を産まなくなってきた雌鶏を食肉化する最中の、首を落とした時に、
首の無い状態で走り回ったらしいのだが、その体験をして二度と食べないらしい。
これは一例だが、確かに『からだ』を通していても『食』に『想念』は関係している。
以前三浦理事長との個人レッスンでも同じようなことを聞いた。
人は肉食をするよ。それはいいんだけれども、肉食をしている限り、
この世から○○は、無くならないんじゃないか、という話だった。(あなたなら、何を当てるのだろう)
『食』は、『息』『動』と『想』の二番目に並んでいる。
『息』と『食』は生命エネルギーの入力、『動』と『想』は出力であり、生命エネルギーの循環。
それは私達という存在、つまり個体を維持するうえで欠かせない。
欠かせないから『操体』では、最小限度の責任生活において、必要不可欠な条件としている。
例えば肉を食べるとき、歯の位置関係からいえば、門歯8本・犬歯4本・臼歯16本のバランスを知る。
つまり人間の場合、肉類1に対して野菜類は2、穀物類は4のバランスで調和する。
以前のフォーラムで発表した時に、年齢に応じてのバランスを考えて欲しいと提案した。
つまり、母乳の終わる時期、乳歯の生えるのは門歯である(野菜類)
幼児〜小児期は乳歯のバランスが、犬歯4:門歯8:臼歯12であり、肉類1:野菜類2:穀物3である。
そして、壮年期以降は人それぞれで面白い。
乳児期の親との関わり遺伝関係とも関わってくる要因『環境』だが、早々に入れ歯を必要とする人も”いれば”、
全く虫歯のない自前で過ごせる人もいて、親知らずに至っては早々に萌出する人も、亡くなるまで萌出しない人もいる。
鏡があれば自分の歯を診て欲しい。自分の歯茎を愛おしく思えるのか観て欲しい。
ここにも自然法則は『からだ』を通して因果応報(=『報い』)を現象として表していないだろうか?
方向を変えよう。ある登山家の話だが、出来るかぎり手持ちの食料を持たず、サバイバルで登山をするようになり、
始めは手に入れやすい川魚を釣って食べていても、そのうち獣を狩る(野生の鹿やウサギ)ようになり、
今までは平気で口にしていた肉に感じる意識と、想いの意識がガラッと変わってしまったというのだ。
それは、殺生を人に押しつけていたのでは、一生わからない感覚を『からだ』を通して感じたのだろう。
『食』は人間の根っこに通じている・・・『食』は深い。
その方向性は、自然法則のなか、生かされている『イノチ』に辿りつく。
ここに至ってなお、『食』の問いかけはスタート地点に過ぎないのだろう。
三浦理事長曰く「美食三昧とは、舌に極楽、腹地獄」
これでは本人の欲まみれであり、『原始感覚』はますます薄れていくのだろう。
ポイントは、ちょっと今の『食』では恐いなって感じてしまう、自分自身を観ること。
「いただきます」という意味は”食べ物に感謝すること”はたしてそれで終わりだろうか。
これは『からだ』にとって自然なのか問いかけてみる。
自然法則に適い、常に実践しがたいのも『食』なのであり、それだけ自我の欲求を通してしまう。
私自身は「ありがとうございます」の意識に、「いただきます」を『息』で通して、『食』を通していた。
これで十分だと思っていたのだが・・・最近ほぼ同時期に、三人の尊敬している方達から同じことを聞いた。
「一日一食で十分」・・・と。
調べてみると理解できると思うが、確かに狩猟をしていた頃の日本人は一日一食であり、
日本人も農耕を始めて一日二食となり、貧困層との量の違いはあっても富裕層も同じ二食だった。
そこに道元禅師が中国から三食を取り入れ、江戸時代中期〜明治時代にかけて三食にかわった。
要するに、三食キッチリ食べるようになったのは、ここ百年そこそこなのだ。
十年前に五日ほど断食を経験し(風呂場で意識を失って終了した)
一年間ほど玄米菜食主義を実践し(『想念』とのバランスに疑問を感じて終了)
面白い!この問いかけは変化して、脳にフィードバックする感覚意識もハッキリとある。
久しぶりに『からだ』と自分自身のききわけを『食』に相関しながら”遊んで”愉しめる。
実感して味わって感謝する。たったこんなことで『からだ』への感謝祭となる。
橋本敬三先生も「自分から有り難いナ〜って思わなければダメだ」と話されている。
そんなことに”今”も気付かせてくれる『からだ』。ありがとうございます。
岡村郁生
2012年春季東京操体フォーラム研究会は4月22日(日)東京千駄ヶ谷津田ホールで開催致します。
見えないけれど観ていれば根に魅入ってしまうのかな