東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

編集

松岡正剛氏は、先々週秋穂さんが書いていた「編集学校」の校長でもあります。秋穂さんが参加したワークショップは「九州参座」と言って「ISIS編集学校」の体験講座のようなもの。
12年前、私はこの「ISIS編集学校」の第2期に参加しました。入ったといっても、通学制の学校ではなく、ネットを用いた発展途中の新しい試みで、生徒も師範代も手探りの状態でした。ルールやシステムを作りながら、現在の形になっているようです。
なお、先生を師範代と呼びます。当時は師範代をまとめるのが師範、さらにその上が大師範、教頭先生がいて、校長が松岡さんでした。私の頃は「生徒」だった記憶があるのですが、今は「学衆」と呼んでいるようです。

さて、私が「ISIS編集学校」に入ったのは、別に「編集」を勉強したいとか、エディターになりたいとかそんなことは全くなく、使っていたインターネットのプロバイダのイベントで「編集工学研究所を見学する」という
イベントに参加したのがきっかけです。何せ「松岡正剛」という名前も知らなかったわけですから(笑)。

編集工学研究所は、赤坂の坂の上にあります。赤坂の紀尾井坂の上の会社に勤めた経験があり、父が赤坂のTBS(旧社屋時代。父は新社屋を見ることなく祖神の里へ帰りました)に勤めていたこともあり、馴染み深い街だったのですが、編集工学研究所があるのは、今まで行ったことがない赤坂でした。
日本で最初にマンションを建てたのは力道山だそうですが、その「リキマンション」の向かいです。

私達見学者一行は、確かポストイットに「朝起きてから今までにやったこと」を書いたような気がします。それから、そのポストイットを並べ替えて行きます。例えば「朝食」と「昼食」は同じ組に入れ、「本を読む」「新聞を読む」は同じ組に入れて行きます。何をしているのかと言うと、情報を集めて、グループ分けする、並べ替えているのです。情報は単に集めるだけではないのです。確か「情報って、集めるだけじゃないんだなぁ」と、興味を抱いたのです。

もう一つ興味を引いたのは「守」「破」という日本独自の学びのプロセスが使われていたことです。
守破離の思想

守破離とは、物事を習得する上での段階を表しています。
 
能の世阿弥が「花伝書」で伝えていると思っていましたが、実は「花伝書」には「守破離」という言葉は記載されておらず「序破急」が説かれています。これは「守破離」の考え方の原型だそうです。「守破離」という言葉は、不白流茶道開祖の川上不白(江戸時代中期・後期の茶匠)が記した『不白筆記』(一七九四年)に見られ、茶道の修行段階を教えたものであったのが、転じて日本の諸武芸に於いても修行の段階を説明する言葉として使われたとのこと。

『不白筆記』にはこのように書かれています。
「弟子ニ教ルハ守、弟子ハ守ヲ習尽シ能成候ヘバ、オノズト自身ヨリ破ル。離ハこの二つヲ合して離れて、しかも二つを守ルコトナリ」
師が守を教え、弟子がこれを破り、両者がこれを離れてあらたに合わせあう。離というのは、弟子が自分勝手にするのではなく、守と破を含みつつ守りつつ、離れるということなのです。そして第一段階の「守」の学びをいかに修めるかが重要で、初学時に良き師匠に出会うことも大切なポイントです。
当時、私はすでに操体の講習(プロ向け)をやっていましたが、基本をやりたがらず、早く操法だけを覚えたいという受講生も多かったので「守破離」という言葉が気になっていたのです。

操体の講習にも「守破離」は必要だと思っていました。こうして、私は「ISIS編集学校」の「守」を学び始めたのでした。

2012年春季東京操体フォーラム研究会は4月22日(日)東京千駄ヶ谷津田ホールで開催致します。

三浦寛 操体人生46年の集大成 [http://www.sotai-miura.com/?p=484:title="操体マンダラ Live
ONLY-ONE 46th Anniversary"]は2012年7月16日(海の日)に開催致します。