東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「ヘタクソの心得」その6

【全てを一つとして見る】

久しぶりに杉並区和田堀にある釣り堀に行ってきた。そこは広い公園の一角にあるとても居心地の良い場所にある。数年前にも何回か足を運んだ馴染みのある釣り堀で時間があれば足を運ぶようにしている。数年前までは三軒茶屋にある屋内の釣り堀に通っていたのだが最近は釣り人口が減っているのかお店が全く無くなってきている。私は子供の時から釣りが好きなのだが「魚を釣る」という行為よりもその場の雰囲気を楽しむ事の方が大切であった。
この日もそういった気持ちで気の知れた友と釣りを楽しんでいると向かいにいる常連であろう年配の男の人が私の連れに声を掛けてきた。私は少し離れた所で二人のやり取りを見ていたのだが、どうやら釣り方を教わっているようだった。しばらくすると全く当りの無かった私の連れがどんどん釣っている。私が釣った数を凌ぐ程の勢いだ。少し悔しいので私もその年配の人に教えてもらおうと話に行ったのだが、どうやら男の人は教えてもらえないらしい(笑)。だが特別に一つだけヒントをくれて「お兄ちゃんはパーツしか見てないから少ししか連れないんだよ」と笑いながらアドバイスしてくれた。「浮きをみるだけではいけないのですか?」と聞いてみると笑いながら頷いていた。私は試行錯誤で意識を池の底に向けながら浮きを見るようにしたのだが、まだヒットしない。しばらくするとその年配の人が「もっと周りを見て。池の表面が少しブクブクしている所に餌を落としてみな」と言いながら餌を巻いて立ち去った。少しすると全く当りが無かったのが嘘のように釣れ始めたのだ。
そういえば、学生の時に先生から釣りをする時にどこを見るのかという質問をされた記憶がある。「浮きの先を見るのか、浮きの下を見るのか、それとも餌を見るのか」という質問に対し、私は浮きの先と答えたが先生の答えは「全部」と言っていた。それは一点に捕らわれ過ぎず「全体を一つ」として見なければならないという事である。操体においても人の体を診る時に症状・疾患に捉われずにボディを一つの器として診なさいと言われている。つまり足が痛いと言っている人に足だけを診ていては治らないと言う事である。もっと深く勉強していくと目に見える現象だけでなく、不可視なものにも意識を向けられるようになる。そういった物の捉え方・見方が出来るようになると自ずと出来ない事が出来るようになってくるのである。それは釣りをするにしても、臨床をするにしても同じことで「全体を見る事」が出来る目を養っていく事が大切なのだ。

三浦寛 操体人生46年の集大成 "操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary"は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定