東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

日本医学

間中喜雄先生は、操体法を評して、
東洋医学でもない、西洋医学でもない。日本医学だ。」と述べられた。
何をもって、日本、日本人、日本的、とするのか?これは私にとって興味の尽きる事のないテーマである。これに関しては、歴代の研学達が骨身を削って膨大な書物を著しているが、どれ一つとしてその全貌を網羅することには成功していない。それくらい困難な課題なのである。
しかし、「日本医学」と言われたからには、何とかしなければならない。自分なりに整理しておきたい。

日本は島国で後進国であるという思い込みと、その次代の先進国の文化を取り入れようとする気構えが常にあった。
とは言え、なんでもやみくもに取り入れるのではなく、取捨選択をする装置があった。
それは、(当代の)日本人の感性・情感(無意識的なもの)に馴染むような言葉・論理(意識的なもの)を工夫して対応させながら習合していった、という方法である。
例として、古くは「和魂漢才」、時代が下って、「和魂洋才」、というものがある。
この場合、前者の時代の和魂と、後者の時代の和魂は、基本的なところを守りつつも変化しているはずだ。
操体においても、橋本先生の時代と現代では、環境や条件が違う。
私は、この「魂」の部分を「器」、「才」の部分を「財」と呼びたい。
「財」を「器」に入れて料理するのだ。
料理する、とは生きることだ。料理する事により、「器」は変化する。そして、また新たな「財」を呼び寄せる。
「日本」も「操体」も、この様に進化する。
これが両者のきもだまだ。


半蔵