東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

快適感覚(二日目)

昨日の続き
操体が提唱する快感覚というのは、心身一体という真理を踏まえた療法である。人間はもともと心身一体の存在であって、からだと心の分離は死を意味する。からだだけの人間もいないし、心だけの人間もいない。からだと心が別々にあって、この両者が結びついて人間が出来上がったものでもない。このことを理解していないと、生きている人間というものがわからなくなる。そうはいっても、からだと心は同じものではない、心はからだではないし、からだを呼んで心をというわけにはゆかない。からだと心ははっきりと区別することができるし、また区別しなければならない。しかし、区別できることは分離できることではない。心とからだは区別することはできるが分離することはできない、心とからだは不可分離に結びついているということなのである。
では心とからだを分離できない関係に結びつけているものは何か? 心とからだを結びつけているものはいろいろあるが、その中で一番大切なものが神経組織である。神経は単なる心でもからだでもなくて、しかも両者の一面を具えている。精神〜神経〜身体という関係で心身一体の人間が出来上がっている。もっとも、この三位一体の関係は、きわめて簡単な略図であって、今日の科学の教えるところはこんな簡明な関係ではない。心にも多くの種類や段階があるし、心と主として筋肉組織としてのからだの中間には電気性のインパルスを含む神経のほかにホルモン、酵素など、さまざまなものがある。それはとにかく、心とからだとはこの中間段階の神経などを通路として複雑微妙に通じ合っている。心の動きは多少とも必ずからだに影響するし、からだの状態の変化はやがて大小ともに心に結果を及ぼさずにはおかない。この心身一体という心理の上に快適感覚は成り立っている。快感覚を味わうということはからだと心を平等に取り扱う仕方で完全な心身一体の状態を実現しようとすることなのである。
快感覚はからだだけの健康や心だけの安定をねらったりしない。心身一体の完全な健康こそが快感覚の目的なのである。心身一体の理からいって、そうした仕方でなければ、本当は心の安定もからだの健康も得られないのである。快感覚を味わうことがこのようにすばらしい結果を生むのは、ほかでもない、からだや心を調え且つ強める前に、まずその中間にある神経などの要素を調整し強化するからである。この中間要素の調整強化は、全人的な健康を築く上に特に大きな意義を持っている。
明日に続く



2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定