東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

『やっぱり最後にゃ、愛だろ』

私のブログ週の真っ只中10月10日に東京からお師匠が遠路遥々福岡の街にやってこられました。(今日は何となく三浦理事長の呼称を『お師匠』でまとめさせていただきます。)来福の目的は最近たるみ気味な私への喝入れと、お師匠の高校時代の同窓会。何を隠そうお師匠は小学校から仙台の赤門へ入学する前の高校3年生までを福岡の街で過ごされていたのでした。しかもお師匠の出身校を私もちゃっかり受験していたのでした。結局私は他の高校へ進学したのですが、これも1つの御縁ですね。という訳でお師匠は10日には同窓会(結局3次会まで突入したそうである。本当に福岡の夜は長い。)の為、私は11日にお師匠の元へ馳せ参じました。師匠の宿泊するホテルにお邪魔しルームサービスのコーヒーを頂きながら本当に久しぶりにお師匠のお話を聞かせていただいた。お師匠の講演はフォーラムや講習など年に何度となく聞かせていただく機会はあるのですが、こんな具合に面と向かって話をさせていただく時間というのは中々出来ないものです。話は前日の同窓会の話や高校時代の朋友とのエピソード、福岡を離れ仙台に行くときの話など講習の場では中々聞く事が出来ない話から今の私自身の近況報告やお師匠が今興味を持たれていることの話、そういえばips細胞の話もしていました。もっと知識入れておけば良かったな。そんな本当に色んな話をお腹いっぱい聞かせていただきました。これらの話はこっそり私の胸の中にしまい込んでおこうかと思っていたのですが、先程どこで聞きつけたのか岡村実行委員長が「秋穂さん、三浦先生が博多に行ったんだって、その時の様子ブログで教えてくださいよ。楽しみにしてますよ。」なんて言われるもんだから、ちょっとぐらいは披露しなければならなくなりました。チエックアウトの時間までそんな具合にゆっくりと過ごさせていただき、午後からは「博多のおふくろに逢いに行く。」と市内の閑静な住宅街のマンションにお邪魔いたしました。お師匠が博多のおふくろと慕う女性は、お師匠の親友のお母上で中学時代からお師匠が毎日の様にお宅にお邪魔しては、本物の家族の様に時には厳しく時にはやさしく当時の三浦少年をかわいがってくれた方なのだそうです。マンションのエレベーターを降りてご自宅の在るフロアに上がるとおふくろさんは少し不自由なからだで玄関の前まで出て来て私達を迎えてくださいました。そしてお師匠の顔を見つけるや否や大きくなった三浦少年を抱擁し「寛ちゃん、おかえり」と満面の笑みで端から見ているとまるで実の息子が帰って来たのだろうと疑い用のない様子で喜びを表現しておられたのが印象的です。おふくろさんはお師匠とお供の私をご自宅の中に招き入れてくださり、お師匠がまだ操体三浦寛になる前の昔話を聞かせていただきました。その当時おふくろさんの家には実の息子ふたり以外に三浦少年を含めて3人の居候がいて本当ににぎやかだった話。その中で三浦少年だけが、何も言わなくても黙々とお風呂掃除を毎日やってくれていた話。三浦少年が仙台に旅立ったあともことあるごとに福岡に帰って来ては実家より先におふくろさんの家に里帰りしていた話。三浦少年が仙台での橋本先生の元へ弟子入りしたときの意気揚々として師匠の自慢話をしていた話。本当に私達の知らないお師匠の若かりし頃の姿をそれはそれは鮮やかに聞かせていただきました。私はそのおふくろさんの話の中に「あなた達にとっては大先生かもしれないけれど、私に取ってはやさしい息子なんだよ。」という言葉がありました。本当に血のつながっている息子ならまだしも、自分の息子の友達だからといって、人はここまで他人を愛せるのだ。というおふくろさんの博愛の気持ちと垢の他人にここまで信頼してもらえるお師匠の素直さと謙虚さそして人間的なやさしさを感じるとともに、人はどのように産まれたかということよりも、どの様に人と接したかによって人間関係は無限に広がるのだと云う絆の意味を教えていただけた気がしました。

私は治療家です。症状疾患を抱えて来院された患者さんの治療をするのが生業ですが、うちのお師匠を見ていると治療の技術や病気の知識だけで人の傷は癒されるものではないのだということをまざまざと見せつけられます。勿論お師匠は操体の世界では勿論、日本のどの治療家と見比べてみても卓越した技術を持つプロフェッショナルであることに疑う余地はありませんが、その治療技術に輪をかけてひと付き合いと人への思いやりのこころの深さに関しても卓越した才能を持っている様に感じます。操体法創始者であり医師である医学のプロフェッショナルである橋本先生が弟子として迎え入れ、名ホテルマンとしてホスピタリティー(おもてなし)のプロフェッショナルである橋本保雄さんが目をかけておられたのは、博多のおふくろさんが三浦少年に対して感じていた、素直さややさしさと云う人間としての品性を認めたからなのかもしれません。ただ自分自身が認められたいと俺が俺がで突っ張ってみても、人として信頼に値すべき品性がなければ決して受け入れられないでしょう。私達東京操体フォーラムの実行委員がお師匠からことあるごとに怒鳴られ教えていただいているものは、操体の技術なんかじゃなくて、人間として誰からも信頼される人間になる為の生き方つまり品性なのかも知れません。

お師匠の束の間の里帰りを終えたあと、私と師匠は博多の街の台所『柳橋連合市場』に立ち寄りました。
ここは戦後の闇市の時代から市場が発達し、転勤したい街全国一位という福岡の街の魅力の筆頭にあげられる「食べ物がうまい街福岡」を今でも影から支え続けています。ここでお師匠が東京へのお土産を買うということなので、私も「今こそ弟子としての力量を試す時!」とばかりに勇んで辛子明太子を買い求めお師匠に東京へのお土産にどうぞと差し出したのですが、その明太子を受け取ってくれたその手で、更に大きな紙袋を私の元に差し出しされた。「秋穂、今日はアリガトな。」紙袋の中にはパンパンにはち切れんばかりの私へのお土産が詰まっていました。ウチのお師匠は本当に厳しいお師匠で、すんなりとはお師匠孝行もさせては貰えません。師匠を空港の出発搭乗口まで見送り自宅に帰り、夕食の食卓に上がった上等な魚をほおばりながら何とも嬉しいやらくやしいやら、本当に複雑な気持ちで食べた魚の味は一生忘れる事はないでしょう。いつになるかはわからないけど、お師匠が口をあんぐり閉じられなくなるくらいの師匠孝行ってやつがしてみてぇもんだ。

2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催