東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

 『恩恵』

今日からブログを担当致します岡村です。一週間よろしくお願いします。
ある母親は、自分の子供が行動しうるであろう先を読み、自らの子供の選択を命をかけて理解していく。
ある母親は、万人に危害が及ぶ可能性を背負いつつ、自らの子供の選択を命をかけて理解していく。

橋本敬三師は、人間の設計(NHKのラジオ)のなかで大自然のおっかさん(お母さん)と言っている。
おっかさん・・・大自然・・・母なる存在・・・所与・・・自在にあるもの。

さて、現代の医学は本当に素晴らしい。それはIPS細胞は勿論、一世紀前には信じられない夢の実現のようだ。
ノーベル医学賞における臨床研究をはじめ、人類において価値ある素晴らしい研究を枚挙に暇が無く進歩し続けている。

この点とも重なってくるもう一つの特徴。
それは、多くの場合客観的であり、他覚的に症状や疾患を診断し、その検査結果を詳細なデータによって特定し、治療方針を決めている。
これは逆を言えば、客観的なデータをそろえない限り・・・要するに、正常値を超えない限りは主観的な愁訴だけでは診断しにくい。

医師であった橋本敬三師も、医師行為以外となっている民間療法や養生法についてある時期研究されていた。
そしてそれぞれの人間は”この方法で治す”と良いと考えているが、やっていることは、”ボデーの歪み”をみているのだ。
つまり、歪みを起こしているボディーをそれぞれの方法で元に返しているのだと理解された。

これは、医療である建前よりも、自然界に備わっている真理を捉えていく橋本敬三師ならではの非凡な捉え方といえるであろう。
一定の臨床データに囚われない視点、それは客観的な症状であっても自覚的な症状であっても成立しうる、健全なる健康観、疾病観だと言える。

改善しにくい患者の要求とは、他の療法に流れていくケースも多い。
それは、健康であった時には存在しなかった、一抹の不安が改善されていないからであろう。

では、ここまで進歩してきた医療においてさえ、人間を不安に陥れてしまうりゆうとはあるのだろうか?
一つに、生死における哲学の欠如はどうだろう。要するに宗教における受け入れ理由を現代医学は無視してしまった傾向にあるのではないか。

等しく人間は産まれることによって存在し、等しく人間は亡くなることによって存在に戻るのである。
そこにはダイナミックに変化するサムシングがある。
それこそ、生と死を分けずにすむサムシングなのである。
生体とは死体ではなく、死体とは生体でもない。
なのに、根底に共通しているサムシングはあり、根底より分割したサムシングもある。

操体を学んでいるといくつもの問いかけに戸惑うときがある。そこには答えていく面白みもある。

「ボディーの歪みっていうけれど、いったい・・・ボディーの何が歪んでいるの?」

「辛い方から楽な方へ動かして治しているのと、きもちのよさを味わって治っていくのはどう違うの?」

「最先端の再生医療において疾病の改善していく恩恵を受けることは、自然の法則に適っているの?」

それに答えられる学び。それが温故知新によりしている操体法であり、操体つまりの橋本敬三哲学の恩恵なのである。
[ ]アザミ花言葉は「権威・触れないで・独立・厳格・復讐・満足・安心」

2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催