東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「人生の豊かさ」について 〜その4〜

人生を豊かにするには生きているうちにどれだけ「死を意識した生き方」が出来るかが鍵になってくるだろう。どれだけやり残した事があるのか、後悔した事があるのか、といった事が死ぬ間際になってから出てきたのでは後の祭りである。「後悔」しないためには常に死を意識した生き方が大切になってくるのではないだろうか?そもそも死とは誰にでも訪れれる絶対的なものである。だが大抵の人は「死」に対し人事のように捉えている。10代、20代ではなおさらである。しかし、いずれ訪れる「死」とは「未来」としてではなく「現在」の延長という捉え方をすれば他人事ではなくなってくる感じがする。これは時間の哲学になるが私は「未来」とは存在しないものだと思っている。例えば天気予報が明日晴れだと言っていて予定をたてたとする。その「未来」とは不確定なものに対しての予想であって全ての事象は現在にしか存在しない。だからこそ絶対的に在る「死」に対して現在存在するものとして捉えるべきだと思っている。あと1つ時間に対する捉え方で大切なことがある。仮に私が80歳まで生きるとしよう。年数であと47年、日数にすればあと、約17000日しか余命がないということになる。これだけの時間を「も」と捉えるか「しか」と捉えるかで余生の生き方が大きく変わってくる。それでもこういった話すらあくまで仮の話であって33歳の私でも明日は約束されていない。それは誰にでも言えることなので常に「現在やるべきこと」はやっておくという意識で今を生きるべきだと私は言いたい。こういったことを踏まえ、「後悔」に関する次のことを紹介したい。
以下のことは「だから死ぬのは怖くない」(週刊朝日MOOK)の「人が死ぬ前に本当に後悔すること6」である。
(1) 会いたい人に会わなかった
(2) 行きたい場所に旅行しなかった
(3) 他人に優しくしなかった
(4) 美味しいものを食べておかなかった
(5) 愛する人に「ありがとう」と伝えなかった
(6) 家族との関係をよりよくしなかった
これは終末期の現場で緩和医療に携わり、一千人超の死を見届けた大津秀一医師が選んだものである。
こういった人生の後悔に共通していることがある。それは実現出来なかったほとんどが日常生活の身近なことであって、決して実現が不可能ではないということである。この6つの項目を私達のような若者からすると出来そうな事のように感じてしまう。しかし意外にこういった身近な事ほど歳を重ねるほどやっていなかったりする。つまり、いつかやるでは遅いということになる。
こういったことからも「死」はいつ訪れるか分からないので自分のやっている事、やりたい事は後回しにしてはならないのである。