東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

これからは、内田樹著「街場の文体論」(ミシマ社)に啓発された事を書こうと思います。
ソシュール記号学定義(116p)
ソシュール自身による定義の文章そのものも素敵なのですが、それについての内田先生のコメントがとても気に入りました。
『学問についての定義というのは多々ありますけれど、このソシュールソシュール記号学定義は素晴らしいですね。まだ存在していないんです、この学問は。しかし、それは存在しなければならない。存在する権利を有している。私はこんなことを研究しました。これをなんとか学と名付けますという人は山のようにいます。でも、ソシュールの天才をもってしても、記号の本質についての学問的体系化は果たせなかった。しかし、これは必ず体系化させなければならない。いずれ何世代かの集合的な努力によって、記号についての一般理論はおそらくは成立するであろう。自分はとりあえずなづけおやになって、名前だけつけておきます。自分が完成できなかった学問領域について、それを「空白」として欠性的に指し示すことができるというのは、自分自身が学的に何を達成し、何を達成できずに終わったかを俯瞰的に見ることができるということです。自分自身を含んだ学術史の文脈を語れるということです。これは本当にすごいことです。』
操体における橋本先生の仕事も全く同様です。最晩年に「楽」から「快」へ転換しなければならない事を指摘しながらも、自分には肉体的限界があるので、後進に「後はたのむ」と託しているのです。
操体は、A・ガウディーのサグラダ・ファミリアの様に、今も創造が継続的に進行中です。


半蔵