東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

権力か愛か・・・3−2

おはようございます。

昨日は最後に、相手の心とからだに向き合う姿勢と至誠が重要と書かせていただいたが、これは指示(お願い)誘導のみならず、介助補助の上達にも関係すると思う。

介助補助が上手くなったからといって、天狗になって慢心が至誠を覆い隠し、向き合う姿勢もあやふやとなれば、それ以上の上達どころか、下降するしかなく、相手にも迷惑をかけてしまう。動診に於ける介助補助は治し方の技法とか、テクニックという捉え方ではないのだ。

それに、治しているのは施術者ではなく、からだなのだ。これは、どのような療法にも当てはまると思う。方法はどうあれ、からだが治す力(自然良能作用)を発揮できなければ、どうにもならない。

しかし一般的な認識としては、病気は施術者に治してもらうものであり、施術者自身も自分が治してやったという、思い違いをしているケースが多い。うがった見方だが、その方が何かと都合が良いのかもしれない。しかし、操体法はそのあたりの真実をハッキリとさせている。

創始者、橋本敬三先生は「治すことまで関与するな、治すことはからだに任せておけばよい」「からだのことは、からだが一番よく知っている」「からだのことは、からだにきけ」と明言している。

真実をハッキリさせた上で、「気持ちよさをききわければいいんだ、気持ちよさで治るんだからな」と快適感覚で生体のバランス制御が可能となり、自然良能作用が高まるという真理を説いている。

操体法には、人間のつけた症状疾患名に対して、それを治すという発想がない。現代では2万以上の症状疾患名があり、ますますその数を増している。それらはみな、現れた特異的現象を人間が判断し、形式化したものだ。

そして、その特異的現象に対して、方法はどうあれ人間の判断で治療が成される。しかし、からだからしてみれば、特異的などではなく、当然そうなるべくしてなっていることなのである。からだはそれまでの過程を知っている。そして元の状態への戻り方(治り方)も知っている。

「からだのことは、からだが一番よく知っている」これは事実であり、真実なのだ。操者は、よくよくこのことを理解していなければならない。そして被験者本人にも、このことを理解していただけるよう努めなければならない。治し方の技法、テクニックで治っているわけではないのだ。


 操者は、からだの要求に応えること、からだが喜ぶことを意識しなくてならない。からだはお金をもらって喜ぶだろうか、あめ玉をもらって喜ぶだろうか。そんなことはない筈だ。からだは自由に開放されたいのだ。その自由は自然法則の内にある。

動診においては、一番くつろげる体勢から、自然法則に則ったからだの使い方、動かし方から、からだの隅々まで連動させ、自由を表現したいのだ。

それが適えば、からだは快適感覚で応えてくれる。被験者はそれをききわけ、からだの要求を満たしていると感じれば十分に味わう。

操者は被験者がより質の高い快適感覚をききわけ、味わえるよう介助、補助する。

この時空は、被験者のからだ、心、操者が一体となり快に調和していく時空だ。「至誠、天に通ず」の間でもある。


動診に於ける介助補助は治し方の技法とか、テクニックではない。被験者のからだの要求に応えられるよう、まごころを込めて接するものだ。

まごころの根底にあるのは無償の愛であり、治してやったという見返りを求めない愛だ。その愛はイノチを創造した天にもつうじる。

しかし、その気持ちだけではどうにもならない。まごころも曇ってしまう。まごころを元に、からだの使い方、動かし方の自然法則に基づいた作法を高めるよう日々精進し、その中で感覚の勉強をしていなければならない。操者は常に、向き合う姿勢と至誠を問われている。