東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「息」について想うこと ― 時代背景より。

おはようございます。

生きていくうえでの、自己最小限責任生活必須条件である「息」「食」「動」「想」。これらには、それぞれに自然法則があります。
私は「食」と「動」は具体的でわかりやすいと感じますが、最初の「息」と最後の「想」は何か抽象的な感じを受けます。なぜそう感じるのか、今回は「想」で考えてみたいと思います。

「生体の歪を正す―橋本敬三論想集」の、31ページから37ページにかけて、般若身経[健康の自然法則]と題したものが載っている。これは相当前のものと思われる。正確に何年前かは、私にはわからないが、少なくとも「万病を治せる妙療法―操体法」(農文協/1978年刊)以前のものではないかと思う。

 この中には、生き方の自然法則と題して、[1]呼吸 [2]飲食 [3]精神活動 [4]体の動かし方の、各自然法則が説かれている。ここに掲載された文章を読むと、呼吸つまり「息」は腹式呼吸がよいと書いてある。

 しかし、橋本先生は晩年に、「温古堂先生語録」にあるように、呼吸は自然呼吸でいい。呼吸の事に意識がいくと感覚が鈍くなる。感覚のききわけが大切なんだ。と語っていたという。これは臨床についての事を語っているだけではないはずだ。

 このあたりは、時代的背景の影響が強く感じられることでもある。つまり、辛い方から楽な方へと操法をとおす事で間に合っていた時代と、気持ちよさをからだにききわけなければバランス制御につながらなくなってしまった時代の違いということだ。日本ではちょうど社会の高度成長期にあたる。

 この時代以前は、生活に根ざした暮らしがされていたが、人為による急激な社会変化は自然環境をも変え、それまでの人間の生活を変え、思想、生き方さえも大きく変えてしまった。生活(生命活動)と暮らしが切り離され、暮らしぶりばかりに意識が向く時代となってしまったという事だ。

 そうなると、当然、人間の質も変化してくる。健康面では、心とからだの調和が密ではなく、徐々に粗くなり、からだのバランス制御が難しいものとなってしまった。従って臨床の場でも、今まで通用していたことが、通用しなくなってくる。これは操体法だけでなく、他の手技療法にも言える事だと思う。

 以前は、コキンとやったらパッとよくなってしまった。というように、形態の歪みを正すことで、動きも元どおりとなり、自然治癒力が発揮され、心とからだも調和に向かうといったような、やり方で通用した。
 しかし、人間の質の変化に伴い、それでは次第に通用しなくなっていると思われる。形態の歪みだけ正されても、自分の動きで、またすぐに不快な方向に、からだを歪ませてしまうケースが多いということだ。

 操体法創始者、橋本敬三先生は、そのような事態をしっかりと直視し、対応すべく時代性と自然法則の応用とを向き合わせる中で、「これからは感覚なのだ」という気づきを得、
「きもちのよさをききわければいいんだよ。きもちのよさでなおるのだからな」という言葉を発したのだと思う。

 だから、「息」の自然法則も、何十年も前に人々に貢献しようと公表したものと、今のものでは、応用、貢献の仕方が変わってきている。勿論、深化をとおしての進化だ。

 以前と比べて、暮らしが便利になった分、自らの生活の営みから来る、人間の弱体化、健康傾斜の歪体化は避けられないものとなってしまった。
 心とからだが自然性を基に調和が密となっていた時代では、「息」も何十年も前の「生き方の自然法則」にあるような、腹式深呼吸が良い、夜床に入り眠る前にこのようなやり方を実践しなさい、で間に合っていた。

 しかし、環境に人為的要素が相当に入り込む現代では、人間の招いた不自然の中の自然という事を考慮しなければ対応できない。

 ストレス社会という言葉が使われるようになって久しいが、肉体的にも精神的にも多大なストレスを抱え込んだ状態であれば、からだは呼吸を浅く、短くしてバランスを調整しようとする。
 腹式、胸式と分ければ、胸式の方が心とからだに適していて、気持ちの良い場合もあるのだ。
 そんな時に、思考の決め付けでもって、腹式呼吸を強行すると、かえってバランスを崩してしまう。大切なのは感覚のききわけということだ。

 ここに「息」の自然法則に於ける、こうすれば良い的な理解の仕方では対応できないものがある。
 健康増進を目的として取り組むならば、こうすればこうなる的な、思考の合理性は捨てる必要がある。
 そして、どうしたら本来の心とからだが悦ぶか、どうしたら快によって調和が成され、結果的に良くなっていくかに意識を向けていかなければならない。

 「息」は「息」のみで成り立っているのではない。「環」と「息」「食」「動」「想」は鎖の輪のようにつながっており、そのバランスをとおして成り立っている。
 「息」の真理を立てるには、他の「食」「動」「想」の自然法則も理解し、同時相関相補連動性をふまえた上で、気持ちよさをききわけなければ、真理が真理として立たない。

 では、健康増進に向かって、具体的にどのように取り組めばよいのか。 
 長くなってきたので、ここからは明日とさせていただきます。