東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「操体と生きる4」

去年、三浦先生からこのような言葉を頂いた。

「オレは弟子達の上達は臨床の上手い、下手で判断していない。日頃の行いを見て判断している」

この言葉は臨床の技術に捕らわれ過ぎていた私を見かねて言って下さったのだと思う。
よく噛み砕いていくと三浦先生は己の生活空間の中にどれだけ操体の哲学を活かしているのかを観ているのだと思える。
例えば食事の時に肘をしめているのか、歩行時に踵から踏み出していないか等、活かせることはいくらでもある。

私が操体を学ぶきっかけは臨床家を目指すというよりは橋本先生や三浦先生の「生き方」に憧れを抱きこの世界に足を踏み入れたのだが、月日の経過と共に私の学びを得る目的は臨床の技術を磨くことになってしまっていた。そして無意識に操体の臨床と生活空間を切り離して考えてしまっていた時期があった。
しかし臨床の技術とは操体のほんの一部であって、操体の本質とは人間が人間らしく生きていく為の哲学であるのだと改めて理解することが出来た。
現在では三浦先生の下に操体を学ばせて頂いているのも臨床の技術を学びにいくというよりは己を磨きにいくという意識の方が強い。どんなに忙しくても週に一度は三軒茶屋に足を運び「ありがたいコトバ」を頂戴し、自身の生活空間に生かすようにしている。
こういった事に気付けたのも私の能の思考が欲に縛られず、素直な思考になってきたからだと思う。

現在になって考えると操体の創始者である橋本先生は脳の使い方が私達と少し違っていたように思える。

私は橋本先生を直に見たことはないが、その世界観は明らかに私達現代人とは違う。例えるなら私達現代人は「動物的」で橋本先生は「植物的」な生き方、脳の使い方をしている。橋本先生の哲学を学ばせて頂くと自分が如何に無駄な思考を働かせているかが良くわかる。ありもしないことを考えて苦しんだり、悩んだりする。それに比べ橋本先生の思想は現象の世界に捕らわれない「ありのまま」自在しているものを受け入れ、その恩恵を存分に生かす生き方をしているように見える。それは自然の摂理と共に静かに生きる植物のようである。操体を実践していく者はまず橋本先生のこういった姿勢が必要になってくると思う。橋本先生の時代に比べ、物が豊かになり誘惑が多くなった時代にこそ現象の世界に一喜一憂しない植物のように自分自身と向かい合い生きていくことが大切なのである。

2013年春季東京操体フォーラムは4月28日、千駄ヶ谷津田ホールにて開催致します。