東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

病気と自己責任(6)

昨日の続き

 動物は病気をしないのに、人間ばかりが病気に苦しんでいる。何故、こんなことが起こるのか。熊は爪を得て、キリンも頸を得、鳥は翼を得たように、人間は頭脳を得ることができた。その頭脳こそ我々が言う自称「文化」と称しているものだ。そして我々は立って歩く、衣類を着る、加熱調理したものを食する、まことに文化というものは、動物界から大きく我々を引き離したように見える。

 しかしそのような文化こそは、我々が病気に苦しむ素因であることを、改めて認識する必要がある。立って歩くことによって仙腸関節がずれて腰が歪んでくる。これは歪まざるを得ない運命にある。人類が起立して直立歩行するようになってから、60万年経ったと動物学者は言うが、人類の先祖が、魚であり、トカゲであり、哺乳動物であった期間は、その何千倍にも当たる。人類が起立しだしたのは、最近、ついこの間の事柄といってよい。だから人類のもつ病気の悲劇は、そこに始まったと断言できるのである。

 橋本敬三医師は『からだの設計にミスはない』と言われたが、それは生命を何とか持ちこたえている、いわゆる「間に合っている」という範囲での話であって、本当のことを云うと限定条件付での「からだの設計にミスはない」と云わざるを得ない。何故なら、人類の骨盤と脊柱を見ても、力学的に、直立歩行するようには作られていない。未だ人間も馬や牛と同じように、四足で歩いていたときに、最も安定できる脊柱であり、骨盤なのである。これは動物力学を専門とする学者の間では常識的な見解である。

 一軒の家にしても建築工学からみれば、そのまま横倒しにしたのでは、崩れてしまうことは明らかなことだ。設計上、梁が横に延び、柱が縦に支えられているので、家が安定するのであるが、これを仮に横倒しにしたのでは、梁が柱の形になり、支えようがなくなってしまう。人類の骨盤も、もとの梁の役目として設計されている。それゆえ、それが柱になったのでは、梁であった柱は、まことに困ってしまうのである。
 また背後から見て、人間の背骨は、利き手が関係しているため、たいていS字に曲っている。その85%は、骨盤の左が上がり、右が下がっている。このような歪みは、動物ではまず見かけることはない。魚の骨を見ても一目瞭然! 未だかって背骨の曲っている魚を見ることはない。脊柱が曲ると、脊髄神経が圧迫されてその活動が鈍る。それがたちまち、血液循環を阻害する。病気の一つの原因はこれである。

 我々が人間である以上、脊柱の矯正に努めない限り、遅かれ早かれ必ず病気を作るものと考えざるを得ない。もしも、それが面倒だというのなら、動物のように四つん這いになって歩くことである。我々は衣類を着る、これも実に気の毒な生活様式である。動物たちが作った辞典に、「人間とは、身体を変なもので隠している妙な動物である」と書いてあるそうだ。
 衣類を着ることで、それだけ、皮膚が弱くなってしまう。皮膚が弱くなるということは、それだけ皮膚呼吸が悪くなることだ。皮膚には筋骨の保護や体温の調節のほかに、腎臓と似たような、大切な役目があり、それは体内の毒を排泄する働きがある。この機能が落ちると、血液が濁りだしてくる。すると、腎臓が弱くなって、風邪を引きやすくなったりする。ひと夏、海で遊んで皮膚を鍛えた子供は風邪を引かないといわれるのはこれである。

 我々は文明を得た動物として、衣類を着るのは仕方ないとしても、血液循環のことを考えれば、衣類の着方にもひと工夫が必要である。健康の絶対的必須条件である頭寒足熱になるよう下半身は温かく、上半身は涼しくなるように、意識的な配慮が求められる。これは基礎物理学で言う熱の移動原理である。からだの中の血液循環というのは物理学でいう対流であり、いわば血液が移動することである。そのためには足方から温めることで、温められた血液が移動することになって、その温熱を伝える現象を対流と言う。足方部の血液が温められると膨張し、密度が小さくなるため軽くなって上昇することになる。そこへ頭部の冷たい血液が流れ込んで対流が起こる。火事場付近に風が起こるのは、空気の対流のためであるが、これと同じことがからだの血液の流れにも起こっているのである。

 明日に続く

2013年4月28日 東京千駄ヶ谷津田ホーにて、春季東京操体フォーラムを開催致します。