東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

〜良心から見たら白〜

小さいころは図鑑や漢和辞典が好きでした。
動物や恐竜の絵をそっくり書き写したり、
難しい漢字を拾ってきては書き取り練習をしていましたね。
小学校1、2年生の頃に、6年生で習う漢字の書き取り練習をしていると
母親から、「まだ早い、今習う漢字をやりなさい」と怒られたものでした。

絵にせよ、文字にせよ、想像力を働かせて自分の中のイメージを表現するというよりも、
より正確に、よりそっくりに書けるかが、小学生の自分にとっては愉しみでしたね。

書道をやっていたせいもあるのでしょうか。
何かを手本にしてそれに倣うことが、身についていたのかもしれません。

この模倣するという事(今風に言えば完コピ)は
学びにおいては「守・破・離」の「守」の段階にあたります。
自分を消して事にあたる。
師が「白」と言えばそれが「黒」でも
弟子は「白」と言う。理不尽ではなく弟子には見えていないだけ。

中学生の頃に「十円玉はどんな形?」と国語の先生に聞かれたことがあります。
私も含め、そこにいた生徒たちは当然「丸!」と答えました。
しかし、先生からは意外にも「四角にも見えませんか」と。
十円玉は正面から見れば丸ですが、上から見たら確かに四角だったんです。
「ああ、納得!」

何処から見ているか。
学びにとっても同じこと。

そういえば、操体の中に出てくる言葉たち、
「快」や「愉」、「悦」に「性」などには「りっしんべん」がついています。
りっしんべんはこころを表し、こころはふわふわと定まらず、喜怒哀楽によって波打つもの。
そんな不確かなものが何故、操体の中に出てくる大事な言葉についているのか。

こころは「心」ではなく「良心」だったんだとわかったとき、
「白」がちゃんと「白」に見えるようになったんだと腑に落ちました。
これも以心伝心。

4日、5日と、三浦理事長、畠山常任理事、福田理事が
スペインのバレンシア操体のセミナーを行なってきてくださいます。
日本とは学びに対するスタンスが違うようですが
受け取る側は是非、感性で、良心で、
向かい合って欲しいものですね。

1週間ありがとうございます。
明日からは薩摩のイケメン、辻実行委員です。
宜しくお願いします。