東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

自分自身の中にある図書館

今週のブログの中で、何度も言葉を変えて書いてきましたが
操体操体法を学んでいて私が感じるのは
「道具」も何も必要としない
「身ひとつ」の有り難さ。
それは「学ぶ」時も同様
「身ひとつ」で学んでいけることの有り難さです。

その代表的なものが私は「般若身経」だと思っています。
「般若身経」は使われている漢字にもあるように
からだの中に在る「経典」のようなもののように感じます。
私のからだの中に、生まれた時から「経典」が在る。
そしてその経典を自分自身で紐解いていくことが
「学ぶ」ということだと思うからです。

「経典」がどれほどの厚みがあり、何冊くらい在るのか。

私はそのことを考えると、「考古学」の世界に想いを馳せるような気持ちになり
一種のロマンを感じます。
師匠も、そして操体をともに学ぶ先輩や同志も
日夜、この経典の発掘、研究、解読に取り組んでいるように
私には感じられます。
そしてその最先端の研究の成果を共有して学ばせていただけることも
私にとっての操体の学びの醍醐味です。

先ほどは「経典」と例えましたが
もしかしたら「図書館」くらいのヴォリュームがあるかもしれません。
私にはこんなイメージがあります。

イノチに関する図書館が自分のからだに備わっていて
訪ねていけばいつでもどこでも
学びたい時に学ぶことができる。
そして、その図書館は誰でもない
「自分自身」にだけ開かれている学びの場である。

そんなことを思うと無性に有り難い気持ちになります。

ただ一点
この図書館に入館するためには「鍵」が必要なようです。
年中無休で入館料もとらないけれども
「タダ」では扉が開かない。

その鍵の存在も操体の学びで
しっかり教えていただきました。
そして私は現在進行形で
今もその「鍵」を磨いています。
それは
誰でも生まれながらに持っている「宝物」

そうです!
「感覚」です。

明日に続きます。