東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

攻める守備。

おはようございます。
今週は友松が担当させていただきます。どうぞ宜しくお願いいたします。

8月も終わり、今日から9月ですね。
相変わらずの暑さが続いていますが、夏の終り特有の、何か寂しい感じがするような、そんな感じがします。日が暮れるのも早くなり、近所のプールからの歓声も聞こえなくなり、高校野球も終わってしまいました。
高校野球といえば、私の地元の県の代表校が大活躍でした。
とりたてて、早い玉を投げるピッチャーがいるわけでもなく、凄いスラッガーがいるわけでもないチームでしたが、あれよあれよという間に、準決勝、決勝と進み、初出場ながら、最後は優勝してしまいました。


見ていて感じたのは、試合の流れが傾きかけてきたら、早々に立て直すことが出来るという事。それを可能にしたのがチームのスローガンである「凡事徹底」という事。当たり前のことを、当たり前にやるのではなく徹底して行う事。それを日々行う事で、一つ一つのプレーが堅実なものとなり、「攻める守備」を可能なものとした。

印象的だったのは、相手チームがスコアリングポジションにしようと、送りバントをした時、通常はバッターを1塁でアウトにすれば良しとする場面でも、2塁に送球して1塁ランナーを刺し、あわよくばダブルプレーにしてしまう。これが非常に多く、文字通り攻める守備だった。

考え方によっては、守備はいくら良くとも、守備で点が入るわけではなく、最高でも0点だ。しかし、点の入るのを防ぐ、それをもう一歩進めて点の入る状況をつくらないようにするというのは、点を入れるのと同じくらいか、それ以上の価値がある。

相手チームからしたら、さぞや、やりづらかったと思う。小さなチャンスをものにし、得点に結びつけるのが攻撃のセオリーであるならば、そのチャンスの芽を早々に摘まれてしまう事ほど、嫌な事はない。調子の波に乗り畳みかけるという、攻撃の流れを遮断されてしまい、尚且つ精神的な落胆も生じさせてしまう。

一方、果敢に攻める守備により、チャンスの芽を摘んだ方は、意気も高揚し、実力以上の力を発揮できるようになる。実際に、大量得点につながる場面を最小限に抑えた後ほど、攻撃に転じた時は、打順に関係なく会心の一打が出て、同点、逆転となった場面が多く見受けられた。


攻撃は最大の防御という言葉は、よく耳にするが「攻める守備」というのは、あまり聞いたことがなかった。しかし、何だか未病医学という事や、からだとの向き合い方にも、つうじるものがあると感じた。からだの守備、つまり手入れを徹底し、病の芽を早々に摘んでしまおうという事。操体の真髄もここにある。起死回生のホームランを打つことも出来るが、それだけを良しとせず、起死回生などという状況をつくらぬ事こそ最良とする。

病の芽とは、不快感を伴うからだの歪みであり、これを早々に正していく事。不快感は、感じられているのだから、「快」つまり「気持ちよさ」がききわけられないことはない。自然法則を意識して、積極的に「快」をききわけていく事。不快と手を組み落胆してしまうと、病は調子の波に乗ってしまう。そうさせない為にも、日々手入れをして、流れを「快」に引き戻すこと。それが未病医学からみた「攻めの守備」だと思う。

凡時徹底を意識して、未病を治す < 未病を実す。