東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

いきなり、「動く」ではなく。

おはようございます。

 昨日、からだの使い方、動かし方にも、純然たる生かされし自然法則が自在する。と書いていますが、それを表しているのが「般若身経」です。

 般若身経は、健康体操的なものではなく、エクササイズでもない。これらに共通する事は、「動く」という面から、いきなり入ってしまうという事だと思う。
 つまり、からだを使うという事とからだを動かすという事が、識別されずに、いきなり「動く」から入ってしまうという事。
 どの様にからだを使えば良いか、という事をすっとばして、いきなり動きに合わせるという構図だ。

 これは、ある程度の健康状態を保っている人ならば良いだろう。しかし、みんながみんな、ある程度の健康状態を保っているとは限らない。
 また、ある程度の健康状態を保っていても、これではバランスを崩し、異常感覚を伴うからだの歪みを生じさせてしまう人も出てきてしまう。


 操体法の創始者、橋本敬三先生は「お経のように、からだの使い方、動かし方にも法則があるんだ」と言われていたと聞く。つまり、「動」の自然法則は、「動く」だけにあらず、また、からだの動かし方、使い方でもないという事。使い方を基に動かし方がある。

 自然環境には、生命の存在とは切っても切れない、不変で普遍的なものがある。空気、重力、水、など。これらから成る普遍的自然環境に適応すべく、からだは設計されている。からだはツクリがあって動く。その設計にミスはない。
 まずは、そのツクリを普遍的自然環境に適応させるべく使うこと。つまり、からだを使う場合「全身の重力をからだの中心に近づけるということ」が基本となる。

 そうするにはどうしたら良いか。どう使えば、普遍的自然環境と、それに適応すべく設計されている、からだとの合致が見出せるか。
 そこから始まり、自然(からだを含む)から教えを受けながら気づきを得、気づいたものを繰り返し、繰り返し検証し、間違いないものと確信に至ったのが、からだの使い方の自然法則である、重心安定の法則だと思う。
 自然法則というのは、考案するものではない。自在して在るものを知るということだと思う。

 手は小指側側を、足は親趾側側を利かせるように使えば「全身の重力をからだの中心に近づけること」という基本条項を満たすことが出来る。そして、腰・骨盤が、文字通り要となるよう、重心を安定させることが出来る。
 この重心安定の法則を基に、からだを動かす。からだが動くとは要が動くことであり、この動かし方にもルールがある。 せっかく、腰・骨盤が要となるよう重心を安定させても、重心のかかり方で、からだのツクリは大きく変化してしまう。これが自然体から遠ざかる(歪む)要因ともなる。

 からだが最も安定した状態(極限安定)となる動きは8つしかない。前屈、後屈、左右側屈、左右捻転、牽引、圧迫。
 この8つの動きそれぞれに、要、つまりからだの中心腰・骨盤の必然的な移動が伴う。この事について究明したものが、からだの動かし方の自然法則である重心移動の法則である。

 橋本敬三先生は「からだがネ、8つきりしか動かないなんて、そんなことに気づいたのは、よっぽど年取ってからですよ、若い時は、わからなかった」と語っていたと聞く。それ程、自然法則を知るという事は、並大抵のことではないのだと思う。

 橋本敬三先生が、この様に語っていたと聞いても、自然という事に対する意識がなければ、なんの事やら意味がわからない、となってしまうと思う。
 しかし、不変で普遍的自然環境と、それに適応すべく設計されている、からだとの係わりを基とすれば、適応すべくからだを使い、動かし、適応できる動き(極限安定)となるのは8つきりしかないという様に感じられる。
 その他の動きは、自然環境とからだの係わりに適応しない、自分本位の動きという事になってくる。

 しかし、それでも間に合うのは、自分の意識の至らない無意識の領域で、からだが自然環境に適応しようと働いてくれているからだ。有難いことだと思う。有難さにつつまれ、生かされて生きている。
 しかし、有難さを無視したり、有難さに胡坐をかいていると、相応の報いがある。それは、異常感覚を伴うからだの歪みという事。これが病気、すなわち健康傾斜の歪体化への第一歩となってしまう。

 だから、からだの使い方、動かし方の自然法則を知る事。知った上で「般若身経」として実践し、健康の基、つまり、からだの歪みを自然環境に適応すべく、正していく事。
 そして、快適感覚のききわけを基に、自然体としてのあるべき姿を問いかけていくこと。それが、より良く身心のバランスをとっていく事や、健康増進につながる事だと思う。


 橋本敬三先生は、健康増進の倫理と題した論文のなかで
「生命体が自然環境に適応するということ、これは生命の至上命令であるから、この絶対原理は自然の救いになっているのである。」と書いている。
この事は、深く心に刻み、意識したいと思う。