東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

バブル

日曜日、恐らくは、今年の民放ドラマ最高視聴率をとったであろう
と思われる半沢直樹が終了した。『やられたらやり返す!倍返しだ!』
って思いっきり昭和テイストがプンプンするセリフも何だか小気味よく、
脇を固める役者も独特の味を出していて、久々に愉しくドラマを観させてもらった。

元々の原作は池井戸潤氏のいわゆる半沢直樹シリーズ「オレたちバブル入行組」
「オレたち花のバブル組」が土台になっています。
ヒットの要因は幾つかあると思いますが、他局のテレビドラマの様に、
アイドルや一部の事務所のタレントゴリ押しドラマで無く、当たり前の様に内容で
勝負したこと。

妙にリアリティがあり、本来は誰しも半沢の様に上司にもの申したいが、現実は
半沢同期入行の、今回のドラマでも独特の雰囲気を出している近藤役の滝藤賢一
に感情移入し易すく、上司からネチネチといびられ、精神的に崩壊しそうな状況
の中で、家庭があると耐えるしか無いよなぁ〜そうだよなぁ〜などと、私自身も
サラリーマン時代を思い出し、妙に切なくなります。ま、この様な対極にある立場
がよりドラマを面白くしているのだろうなと思いました。

このドラマ一応、原作はバブル期が題材となっています。そもそもバブル期って?と、
私の記憶の中にバブルで良い思いをしたという記憶が一切無いので、改めて調べてみると、
1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)5月までの4年3か月間を指す空前の好景気
のことを俗にバブル景気と呼ぶようです。
バブルはいざなぎ景気に次ぐ戦後3番目の好況期間と言われ、過剰な投機(株・土地)
など実態が伴わない景気要因に支えられ、景気終息後の反動の大きさから「泡が弾けた
ようである」ことから「バブル景気」と名付けられました。

昭和61年と言えば、私は21歳でしたので、サラリーマンを辞めて独立しようかどうかと
考えていた頃だったので、会社が好景気に沸いていたなどという記憶が一切無いのです。
島根という地域は中央の景気が反映されるのが大体、2〜3年後になるので、バブルが
四年で弾けたとすれば、波及する前に何も恩恵無く終了したことになります。
地元の知人に聞いても、一部のゼネコン系の人々は良かったようですが、バブルのイメージ
はそんなものでした。
寧ろバブルより、その後に訪れる失われた10年と呼ばれる平成不況の方が印象深い
かもしれません。

ただ、経済とは生き物で景気とは”雰囲気”である。との言葉通り、何となくテレビが
バブルと浮かれて(当然、当時はバブル景気などとは呼んでいませんが)、如何にも景
気が良く世の中が良く成りつつあるその雰囲気に国民が酔いしれた時期でもあったと言えます。
ジュリアナのお立ち台で踊りまくる何かに取り憑かれたような女性達も浮かれた時代を表していて、
今でもたまにテレビなどで当時の状況が映し出されると、ある意味社会全体が熱病にうかされた状態
だったのがよく分かります。

これって今のアベノミクスとよく似ていて、私の回りでアベノミクス最高!って言っている
人は見当たらず、何だか実感の無いまま設備投資も増加しているという雰囲気的観測とかで、
消費税率が上がるようですが、何だか日銀と政府がタッグを組んで、好景気を誘導している様で
何だかなぁ〜って感じです。
ま、いつの時代でも持っている人は持っているし、儲かる人は儲かるってことで、妙な納得をしております。

ただ、この『雰囲気』『気分』って凄く人間にとっては大事な要素でもあって、何となく
景気が良くなりそうな雰囲気があるから、購買意欲が増し、今日は気分が良いから飲みに行
こうか!等と人間とは理性のみでは語れない部分でその多くの行動が支配されていることが分かります。

これって人のからだが良くなっていく過程にも言えることかもしれません。
不定愁訴や具体的愁訴を抱えたクライアントが、訪れた施術院や治療院で、最初は確信は無いけど、
チョット楽になって何となく良くなりそうな感じがする。通い続けることで、チョットした日常に
変化が現れ、からだがラクになって来るのが実感出来てくる。

変化が実感出来るから何となくが徐々に確信へと変わっていく。
この確信が重要で、確信することでからだは大きく変化し、改善方向へと大きく舵を切っていきます。

昔から『病は気から』と言う言葉が有りますが、この言葉、まさしく名言だと思います。
ウイルス性や物理的破壊による疾病以外は、このメンタル的要素で殆どが改善方向へ向かうと言っても
過言ではありません。
逆に言えば、この先生大丈夫か?と不信感を持たれるような先生では治るものも治りにくくなるという
ことも言えます。

考えてもみて下さい、自分が調子悪いときに訪れた施術院やクリニックで、何を聞いても歯切れが悪い、
目が泳いでる、キョドっている、そんな先生に信頼がおけるでしょうか?
不信感一杯では治癒力も充分に働かず、体内の化学反応も起こり難いのは容易に想像出来ます。
どんなに科学技術や疾病プロセスの研究が進んでも、所詮、治すのは当事者の身体であり、先生では
無いのです。
からだとは快や不快をききわける受容体であり、この受容器は微細なセンサーなので、チョットした
変化にも過敏に反応します。

ヘタなことをしていると身体から思わぬ『倍返しだ!』を喰らうこともあるので、精進精進・・