東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

自然の中に身を置く

『感覚と感性を磨く』この二つは我々が臨床家として常に意識し、
心掛けなければならないキーワードだと思っています。
何故なら、私たちが向き合うべきはクライアントの”疾患症状”
”疾患部位”ではなく、クライアントの、『もの言わぬ身体』
向き合うべき相手だからです。

私は臨床家という職業選択を2002年(平成14年)に行いました。
ですから、37歳という遅咲きの臨床家なのです。東京操体フォーラム
の岡村実行委員長を始めとする各実行委員の皆様方は、若い頃から
臨床家への道を歩き出し、今や素晴らしい臨床家として活躍されて
いるわけですが、私なんぞは人生の大半をサラリーマンで過ごし、
今では信じ難いですが、スーツを着て街を闊歩しておりました。

経理以外は多分、殆どの業種は携わってきた位に、転職を繰り返し、
最後のサラリーマン生活は営業マンで終えました。
正直、最後の会社を辞めたときでも、臨床家になろうという気持ちは
1ミリも選択肢には無く、37歳という社会の現実に曝されながら、
再就職も困難、ピンと来る仕事も無いまま、オヤジさんの農業手伝い
をしたり、フラフラとしながら半年間を無為に過ごしました。

そんな時に、以前のブログにも書いたのですが、三日日間続けて同じ
夢をみるという、あんびりーばぼーな経験をすることで、臨床家にな
ろうかと、核心では無く半信半疑でスタート致しました。
当然のことながら、何のツテも無く、何をして良いのかも分からない
中でのスタートでしたが、嫁の「ま、腐って仕事しているあなたを見
るより、その方がいいか・・」「ま、あんた一人位なら私が食べさせて
あげるわ!」という男前発言の後押しも受け、開業し、ヘロヘロにな
りつつも今に至っているわけです。

師匠は遠方、情報量は都市圏に比べ、ネット環境や地域差が無くなった
と言われますが、それはまぁ、キレイ事で実際は田舎の情報量や環境は
悲しい限りであるのです。

ただ、最近つとに思うのが、臨床家にとっての田舎の良さって何だろう?
都会に無くて田舎にあるものは?そして、それが臨床家にとってメリット
になるものって・・・ということを考えることが多くなり、その効果がボツ
ボツ最近になって実感できるようになって来ました。

行うことは単純なのですが、さすがにこれは中々、都会では出来ないだろ
うと思っています。それは、『山に登る(入る)』ことです。
『は?!』って大ブーイングが聞こえてきそうですが、別に新たに登山って
ジャンルを開拓しているわけでは無く、山に出掛けて行き、山の木々の
中に身を置きます。

そして、その場で彼等(山川草木)の声をききわけます。ひたすら、じ〜っと、
呼吸を整え通しながら、ユッタリと、時には豪快に。正直、何も喋っては
くれませんし、喋り出したら別の仕事が回ってきそうです。

 

ただ、身体が変化していくのはハッキリと実感出来ます。額のあたりや丹田
のあたりが熱感を感じたり、メンソール系の涼しさを感じたりと、様々な静的
動的変化を及ぼします。
その内、体内の血管など各臓器の形がハッキリと分かる位に、表現し難いですが、
妙な感覚が起こってきます。
これを浄化と呼ぶのかどうかは、私はそっち系の専門家では無いので、定かで
はないのですが、明らかに目の感じや身体の深層部に変化が生じます。

先日、フォーラムの相談役でもある株式会社ギアの太田社長が出雲にいらっしゃった
際に、古代日本の山岳信仰や岩、石についての興味深い話しをされていたのですが、
昔から山伏が霊験を磨くのに入山し、山から山へ渉り、霊力を磨くのも納得出来ます。

それ位、『山』には大きな力を感じます。
先日、富士山の山開きの様子をテレビでやっていたのですが、その中で若者が、
薄手のシャツとサンダル履きで登山していく様子を写していましたが、案の定
途中で気分が悪くなって下山して行きました。アホすぎます。
神様のお宅へお邪魔するのに、TPOを考えずに行くなど、正気の沙汰ではありません。

そもそも山は日本人にとっては信仰の原点であり、山には神が住んでいる、
元々山そのものをご神体として崇め奉っていたものが、『社(やしろ)』
という仮住まいに移し、現在の信仰の形に変化しているのです。
私も十数年前に西日本最高峰、四国の石鎚山に登山参拝したことがあるのですが、
その時神主さんが、「お山では毎年何人かお亡くなりになっていますが、
神の怒りに触れたとご理解下さい」と登山の際の注意喚起として、念を押していました。
白装束の修験者の方や、信者の方々に混じって、とんでもない崖の斜面を”お鎖さん”
と称する鎖に掴まりながら登ったりと、途中、ホント命落とすなぁ〜などと感じながら
登ったのを思い出します。

島根は私の住む近所にも『仏教山(神名火山)』と呼ばれる、神が降りたと言われる
お山も有りますし、国引き伝説が残る山など、ネタには困らない位に、たくさんの山
があります。自分の感覚や感性を磨いてくれる”場”がたくさん存在するのです。

私達がクライアントをみさせて戴くということは、クライアントの内部感覚を
より引き出せる様な触媒に自分自身が成り得る必要があるということです。
触媒が機能しなければ、クライアントと我々との間で化学変化は起きないということです。
マッチの軸だけがあっても、こする方の触媒が無ければ、何の変化も起きず火は付きません。

常に臨床家として、我々はどんな触媒に対しても反応出来る状態を作っておく
必要があるということです。

自然に身を置くとは有る意味、人間生活での余分な垢や観念を捨て、
常にニュートラルな状態にシフト出来る状態を作るということなの
かもしれません。
そうすることで、当たり前に見えていた世界や身体に違和感を覚えたり、
変化に目が行ったりする様になると思います。

登山者の皆様、山でじ〜っと立っている変なオジさんを見つけても、
通報したり、熊と間違えて猟友会を呼んだりしないでねと願う今日この頃です・・・