東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

僕とコンプレックスと操体と 5

「はぁ〜、やっぱり僕は操体に救われていたんだな〜」と最近特に感じる。柔道整復師としてのアイデンティティが確立されないまま治療家としての道を歩き始めた時に、操体法と出会う事が出来た事は何物にも代え難い貴重な体験だった。勿論、最初は手技療法の治療技術として興味を持った操体法が、東京操体療法研究会そして東京操体フォーラムでの学びを通じて、私達人間が気持ちよく生きて行く為に欠かす事の出来ない自然法則であることを知った。初めて三浦理事長と話をさせていただいた時に教えていただいた「操体は治療技術を学ぶ為のものではなく、正しく生きる為の自然法則の学びの場だ。」と云う言葉は私の治療家としての姿勢を180度ひっくり返すくらいのインパクトを持っていた。

この世界は全てバランス現象で出来ている。呼吸・食事・運動・精神のバランス、これらのインプットとアウトプットが円滑に機能していれば健康体を維持出来るが、行ったんこのバランスが崩れてしまうと、歪体化したからだは症状疾患を引き起こす引き金となる。さらにこれらの最小限責任生活のバランスが崩れると、それらを活かしている環境との折り合いも悪くなる。勿論その全てがパーフェクトでないと行けない訳は無い。歪体化し症状疾患が発生したとしても、『息・食・動・想』の内のひとつでも取り上げて変化して行けばその他のバランスも自ずととれてくる。例えば治療法としての操体法はこの中でも『動』に対してアプローチして行く事により、からだを包括的に変化させる事が可能になる。このバランス現象の舵取りは快適感覚である。気持ち良いという感覚を方位磁石にして進んで行く事で道を踏み外すリスクは回避する事が出来る。

『快・不快』興味深いのはいかなる現象においても必ずこれらの感覚が存在すると云う事。いくら気持ちが良い事でもやりすぎてしまうと気持ちが悪くなってしまうし、またその逆も充分あり得る。仮に最大圧痛点を押さえてみると、その痛みに反応して逃避運動を起こす。この逃避運動こそが整復コースである。確かにおいしいお料理を頂くのは快感覚を内在しているが、食べ過ぎてしまうとお腹を壊してしまう。またそれとは逆に食事を絶ってみることは一見すると栄養価がはいってこないため不快な感覚を伴うものかもしれないが、適切な環境での断食はストレスを軽減されるし、内蔵機能の低下を上昇させ結果的にからだにとっては快の方向性である事がわかる。コインに表裏があるように、万物に陰陽の性質があるように、我々には快と不快が存在する。