東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

p1*[岡村郁生(おかむら いくお)]学衆となって学習

 ”雲流れるが如く、水流れるが如く”に憧れている岡村郁生です。
 今週一週間、コツコツ打ちますので宜しくお願いします。

 岩吉実行委員のブログ、、操体を奏でる吟遊詩人のようでしたね。

 実は、畠山裕海理事の紹介で、私自身が一番苦手であろう分野、
「想い」を活字にする様々な方法を学び取る「イシス編集学校」
にて「守」に入門、晴れて学衆となりました。

 「ISIS編集学校とは」

 ISIS編集学校の最高責任者は、
言わずとしれたあの、松岡正剛校長先生です。

 先日八分儀会で講演して頂いた太田剛先生も、畠山常任理事と
この編集学校で繋がり、御縁あって三浦理事長とも繋がり、現在
東京操体フォーラムの相談役をお願いしております。

 この編集学校に入ってオカムラを待っていたのは、「お題」です。
お題を推敲し→回答→師範代の指南→場合によって再回答を促す。

 このように様々な”お題”を通じ、真剣に指南して頂く師範代には、
適当は許されません。本気でお題に取り組んでいないと師範代はピン
とくるようで、ことあるごとに丁寧なご指導を頂けるのです。


 学び始めてわかったのは、必然と”自分に向き合わざるをえない。
”お題”の連続に、あらゆる方向から、お題に向き合いつつも、それ
までの自分に向き合い、さらけだし、問いかけるという体験をします。

 学んだことは、必死に取り組む。
必死にお題を解くなかで、何かのモードが変わり面白くなるのです。
 知らない言葉に辞書を引き、鍵となるのものを引き、「自分」とい
う鍵穴に合っているのか考える習慣を身につけていくようです。


 例えば、類語で「馬鹿」を調べたとしましょう。
 馬鹿の意味を辞書で調べると、こうあります。
「不器用ながらも一つの道を曲げずに歩き続けること。その上で
何らかのものを大成する、このような姿を「馬鹿」と書いてある。

 類語で言えば、「愚直の一念」というのもあり、さらに「木訥」
という言葉も、類語ではないのですが、なんとなく似ているのです。
「素直ではあるものの、気が利かないために何かの時に役に立てない」
 しかし、その直向きな姿や実直な態度に感動を与えられる瞬間はあり、
少なくとも、そのような人間が居てくれることは幸いに感じている。

 なんでも疑問を感じて、調べていく。
学ぶ姿勢・・・この習慣を身につける重要性は「操体」も同じです。

 だから、今日言いたかったこと。
自分自身を、最高の”個性真理体”として受け入れること!
(個性真理体とは八分儀会の際に理事長から頂きました)

 いまを何一つためらうことなく、信じ抜いて逝ける努力を欠かさない。
 逝けるとは生けること。
 花を生けるのも、自分を生けるのも、変わらないように・・・謙虚に。

 貫くことは辛くとも生き抜いてきたこと。

梵天丸もかくありたい!」とは若き日の伊達政宗の言葉ですが、

岡村郁生という人間も、かくありたい・・・・。

「蝶が死ぬとき、花も死ぬ。蟻が行くとき風が逝く」

         〜似たり寄ったりの消息『眼の劇場』松岡正剛校長〜

というわけで、「操体」と「編集」はとても相性が宜しいようでございます。