東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

 私が守っていること。

「これだけは守っている」ということは誰にでもあると思う。

私の「これ」は、
「楽」と「快」を混同しないこと。
「診断(動診)」と「治療(操法)」の区別をつけること。
この二つだ。

四捨五入すると20年前のある日、ぎっくり腰で這うようにしてやってきたクライアントが、ベッドの上で、顔をしかめながらからだをもぞもぞ動かしていた。
私は「どうしたんですか?」と聞いてみた。
彼は「きもちよさを探してるんです」と言った。

その時思った。彼は「きもちよさ」と言っているけど、探しているのは「楽で痛くないポジションなのだ」と。
そこで「それって、きもちよさじゃなくて、安楽で痛くないってことですよね」と、聞いてみた。
「そうです」

私が「きもちよさを探す」という表現に疑問を持った瞬間だった。
きもちよさは探しても見つかりにくい。特にどこか痛い時には。色々動いてみても、見つかるのは「楽で痛みがない場所」なのである。

もう一つ。
三浦先生に「足趾廻し」をはじめてさせていただいた時(まだ入門する前の話)。
それまで私は「外廻しと内廻しできもちいいほうをやる」と習っていた。
ところが、多くのクライアントは「う〜ん。わからない」と言う。

それが悩みのタネだったのである。

三浦先生に「どちらがきもちいいですか」という今となってはドアホな質問をしたところ
「どっちもきもちいい」

という答えが返ってきた。
目からウロコが落ちた。

その翌日から私は外廻し内廻しのどちらか一方を選択させるという方法をやめた。

私が「きもちよさを探して」とか「どっちがきもちがいいですか」という問いかけをしない理由だ。

その他に私が「これはやらない」ということがいくつかある。
個人的指向なので笑って読み過ごしていただければ幸いだ。

顔文字は極力使わない
これはISIS編集学校の影響もある。2000年(だったと思う)当時、顔文字が大流行したのである。
編集学校の教室ではネットを介したやり取りで稽古が進むが「顔文字を使わない」というルールがあった。
これは、顔文字で言いたいことをごまかすのでは(ごまかすという言い方はちょっと語弊があるが)なく、言いたいことは文章で表せということだったのだろう。
まあ、自分は多用しないが、他人が使っても別に気にならないのでお気になさらずに。

女子会はしない
私の言う女子会とは、昼間に女性数名が集まって、こじゃれた店でランチをとりながら色々楽しむとか、いわゆるお茶会というヤツである。別にそれが悪いというわけではなく、自分は参加しないというだけだ。
女友達と一杯やる、というのではない。また、気心の知れた女友達と仕事の合間にランチするというのも違う。
ちなみに、私が愛読している「モバイル中谷塾」の中谷彰宏氏によると、女性ホルモンを出すには「仕事と家庭の他に、第三の場所」が必要とのことだ。そして、いわゆる女子会は「女性ホルモン」(この場合は色気とかフェロモンとかを指すのであろう)にとってはマイナスであるという。これは何だか妙にわかる。

テレビを見ない(必要以上につけない)
私は自分からテレビをつけるということが殆どない。
昔から見なくても平気だったのだが、最近はますます見なくなった。
家人などがつけていれば何となく見るし、銭湯で見ることもあるが、自分で積極的にはつけない。
どうしても見たい場合は、誰かに頼んで録ってもらう。
家族親類にテレビ界人(というのか?)が多いのだが、やっぱり見ない。
この一年、自分から積極的に見たのは、松岡正剛さんが出ていたか、あるいは頼んで録ってもらったKISSのライブか、島地勝彦先生がモデルのドラマ「全身編集長」くらいである。