東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

神経症12

 苦痛に対するクライエントの反応の仕方は我々療法家にとって非常に重要である。そこでこの苦痛における理解を深めるのに役に立つ調査研究を取り上げてみる。一定の原始感覚に対する「瞳の収縮と拡張」について調査したE・H・ヘスは、感覚が快の場合に瞳が拡張し、不快な場合には収縮することをつきとめた。それによると拷問の絵を見せられた被験者の瞳はひとりでに、無意識のうちに収縮した、というような実験結果であった。

 子どもが不快なシーンを目撃したときにも同じことが、しかも全身に生ずるはずである。それは苦痛から逃れようとする全身的な反応であり、それにはE・H・ヘスの実験の場合と同じように、各種の感覚器官、脳の働き、筋肉組織などが関係しているものと思われる。これについては操体においても、触診での痛覚から逃れようとする、いわゆる逃避反応から動診、操法につなげていく興味あるメソッドを用いている。進化を続けている操体のことだから、いずれ精神的な療法としても確立することだろう。

 このように強度の苦痛から逃れようとするのは人間の反射的な行動であり、それは熱いやかんから手を引っ込めることや、恐怖映画のぞっとするシーンから眼をそらすこと、それに辛い思いや感情を押し殺すことにまでおよんでいる。この苦痛の原理が神経症の発展に本来つきまとっているものと考えられる。そこで原始感覚的な情景に直面すると、子どものからだは全面的な認識を拒んで機能を停止し、その認識を意識しなくなる。ひどい肉体的な苦痛に苛まれると、このうえなくしっかりしている人でも意識を失うのと同じことである。

 原始感覚的な苦痛は、経験されぬ痛みであり、この観点から、神経症を反射、すなわち、苦痛に対して全身が瞬間的に示す反応だと見なすことができる。また催眠術をかけた被験者の生理学的な実験結果がある。それによると被験者は間違いなく目覚めていたが、「あなたは何も感じることができなくなった」と催眠をかけられたうえで、痛みを伴う刺激を与えられた。そのとき、物理的な測定は被験者がそれに反応していたことを示していたが、被験者は何の痛みも感じないと報告している。しかしこの実験では、催眠をかけられて何の痛みも感じないと報告した被験者の脳波にはっきりと変化が生じていた。

 原始感覚的理論の見地からすると、このことは、苦痛を与えられていることに当の本人が気づいていないときですら、肉体と脳はたえずそれに反応している事実を物語っている。ということは痛覚に対して鎮痛剤を与えられた後でもなお、被験者の肉体が依然として苦痛を伴う刺激に反応していることを、心理的な測定データは示している。苦痛に肉体が反応することとその苦痛を意識していることとは、まったく別個の現象なのである。そこで肉体が耐え難い苦痛を締め出そうとするとき、原始感覚的な苦痛を隠し押さえておくために、何かが必要とされる。それには神経症がその役割を果たすのである。それは苦しんでいる人を苦痛から逸らし、希望へと向かわせてくれる。すなわち、自分の要求を満たすことができる対象に向かわせるのである。

 神経症の人間はそのような切迫した、しかし満たされていない要求を持っているので、その知覚と認識作用は現実から遊離するしかない。それでも苦痛は阻止される、なぜなら感情は有機生命体の統合された総合的プロセスであり、原始感覚的な苦痛のように大きな重大な感情を退けるとき、我々は感じとる能力が全面的に阻害されると信じているからである。
明日につづく


2014年4月27(日)
東京操体フォーラムが開催決定!
会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。

「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」
是非お越し下さい。

http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=644