東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

消しゴムの有り難さ

寺本雅一です。今日から一週間ブログを担当させていただきます。
どうぞよろしくお願い致します。

早速ですが、みなさんに質問です。
持ち物の中に入っている筆記用具入れ。「ふでばこ」や「ペンケース」を想像してみてください。
その中に「消しゴム」や「修正液」は入っているでしょうか?

ちなみに、僕のふでばこには、今どちらも入っていて、毎日大活躍しています。
実は、以前はこのどちらもほとんど使うことなく、ご縁のない存在でしたが、操体をとおして学ぶ愉しさ、その味わいを知ってしまってからは欠かせない「相棒」のような存在となっています。
そんな相棒的文具について、今日は書きたいと思います。

ふと気になって、改めて、その理由を考えてみたところ、
大きくわけて、二つのことが浮かびました。

1、一度「わかった」と思ったことを繰り返し学ぶようになったこと
2、間違っているとわかっているものをそのままにしておけなくなったこと

この二つです。

1については、学ぶということの「極意」だと感じています。
言葉にすると、至極当たり前なのですが、でも実践し、継続してみるとその妙味を味わうことができると思います。

例えば、仕事のノウハウや、勉強していることや興味のあること。
「わかった」と思い、書き留めた記録を、時間が経ってからもう一度見てみる。からだに入れて、感じてみる。すると、必ず「あれ?」という点が見つかるはずです。「ここは、こんなことにも繋がってくるんじゃなかろうか」というプチ発見や「あ、ここ間違っているかもしれない…」と見えてくるものがあると思うのです。どうでしょうか?

また2については学ぶ人間の「自己責任」にも繋がってくると思います。「ここ、なんかしっくりきてないんだよな…」というような点。その違和感に「気付いている自分自身」をふと感じること、ないでしょうか。もし感じているならば、それは宝物です。その場で、その声に従う必要がある。

なぜならその場で、そのことを知らんぷりしても、まわりまわって結局また同じことをちゃんと考える必要が生じて、もう一度向き合わなければいけなくなるからです。ちょっと抽象的な話になってしまいましたが、そんな経験はないでしょうか?僕はそのことを、ようやく身にしみて、学び知りました。

そんな時に、必要になってくる「消しゴム」や「修正液」。
線で消したり、もじゃもじゃっと黒く塗りつぶすのもいいですが、僕はあえて「消す」ようにしています。適当に消すんじゃなくて、「ちょっと姿勢を正して消す」という気持ちで。

最初は抵抗もあるかもしれないけれど、思いきって消す。そして、今感じていることへと更新する、追加する。

これがなかなかクセになってきます(笑)。
言い方を変えれば、書いたり消したりというのは、自分自身との正直な対話でもあるはずです。
不思議と、「書き直した部分」というのは愛着が生まれます。しかし、それもまた、必要を感じたら消して、更新していく。変化を受け入れていく。

そんな、「消しゴム」&「修正液」というのは、「時間を越えてしまうツール」のようにも思えて来ます。
なぜなら「記録」を消して、新たに書くという行為は、「過去」と「現在」が繋がることであり、もっと言ってしまえば、「いま」という次元で学びと向き合えるツールであるように思えてくるからです。

そして例えば、「修正液」というものは特に面白くて、書いたことを消してしまったように見えますが、その裏側から見ればむかし書いたこともちゃんと読めてしまう(笑)。
「時間」もいったり、きたり出来てしまう次元越えツールでもあるのです。


2014年4月27(日)
東京操体フォーラムが開催されます!

会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。


テーマは「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」

是非お越し下さい。