東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

700,000

70万・・何やら意味深なタイトルですが、この数字を見てピンと
来た方はかなり奇特な方、殆どの方が「ん?」と首を捻る数字かと思います。
昨日のブログで観光客が増加したと書いていたのですが、一方で
島根県の今年4月1日現在の人口が70万を切り、約69万7千人になったと
先日発表されたのです。何と70万人を下回るのは、1920年国勢調査
が始まって以来、初めてのようです・・
原因はハッキリしていて、高度成長期に若年層が都市部へ流出した
ことや、少子高齢化を背景とした人口の自然減などが原因とのこと。
ピークは1955年の92万9千人で、2040年には約52万1千人に減少する
ことが予想されると言います。

昨年10月時点での総務省の推計値で、島根県の人口は全都道府県で
2番目に少なく、最も少ないのは鳥取県の約57万8千人でした。

スタバと言い、やはり島根と鳥取は悲しくなるほどのワンツーで、
まぁ島根のことを東京で話しても、『あ、あの砂丘があるところですよね』
などと爽やかに言われると、もはや切り返す気力も無く、適当に相槌をうっております。

ムムム・・69万人って師匠のお膝元、世田谷区より少なく大田区の人口とほぼ同じ様です。。。
県全体の人口が区と同じとは、「が〜ん!?」を通り越えて、笑いが出て来ます。

大田区って面積は59.46Km2で私の住む宍道町60.17Km2とほぼ同じなんです・・
そう考えると、東京ってヤッパリ異常なのだと思ったりもします。宍道町
面積に島根県民がスッポリ入ってきたら、考えるだけでゾッとします。

問題なのは第一回目の国勢調査開始時(大正9年)の人口を下回ったのが
島根県だけだと言うことです・・
1955年の約93万人がピークで、順調に減り続け、人口は明治21年(1888年
の人口691,500人とほぼ同じで、平成なのに明治に生きる県・・
す・・凄すぎます。

気の毒に〜島根ぇ〜って言葉が聞こえてきそうですが、実は然に非ず、
ある意味島根県は次代の最先端を行っていると言ってもいい県なのです。
実はこの超〜高齢化の進んでいる島根ですが、その速度は実は鈍化しており、
寧ろ今、社会問題化しつつあるのが、『都会の限界集落化』です。

何言ってんだよ〜って声が聞こえてきそうですが、現実、東京も既に
限界集落化が始まっています。
その代表が、『都営新宿戸山団地』です。
この戸山団地は16棟、2,300世帯という規模で、しかも65歳以上の高齢化率
60%を超える状況となっており、80歳以上の独居高齢者800人もいるという状態です。

そして私たちがフォーラムを行う千駄ヶ谷の駅に近い、国立競技場の南側一帯に
存在する『都営霞ヶ丘アパート』10棟約400名が居住し、66才以上の高齢者が
214名と半数を超える限界集落です。しかも、ここはオリンピックの立ち退き対象
になっているようです。

政令指定都市では北九州なども限界集落化が進んでいて、全国的に高齢化社会が進んでいます。

国立社会保障・人口問題研究所が2006年末にまとめた推計によると、
2005年と比べた2035年の老年人口(65歳以上)の増加率は、東京、
埼玉、神奈川、千葉の4都県とも60%を超えています。

逆に一定程度の高齢化を経た秋田や山形、島根、高知の各県の増加率が
1けた台にとどまっているのに対し、首都圏の高齢化はこれから速まると言われています。

これは何も日本だけの話しでは無く、先進国病とも言われ、韓国もそうですが、
数で言えば一人っ子政策を実施している中国もそのビッグウエーブが押し寄せて来ています。
実数で言えば高齢人口は、2010年時点で1億2000万人2050年には3億3000万人に達します。
この時点の高齢化率は25.6%です。
一つの国に65歳以上の、生産をほとんど担わない人が3億3000万人もいるなんて凄すぎます。

悲しいかな、誰しも年を重ね、老いて行きます。年を重ねたとき、自分の足で歩き、
身の回りのことは最低でも出来る『健康長寿』でいることが必須です。
年金も受給年齢がどんどん上がっていく中で、健康を維持しながら、
働ける身体を維持しなきゃいけないという、この過酷な状況に私たちは突入しているのです。
成ってみなきゃ分からないのですが、成ってからでは遅すぎる。
身体も悪くならないと健康の有り難さは分からないのですが、悪くなってからでは
金銭的にも精神的にもキツすぎます。

とかく日本人、特に男性は未だ健康意識が女性に比べ低い様に思います。
病名診断されてから慌てても、そこから健康状態に戻すまでの様々なハードルは
非常に高い様に思います。

よく言われる”ピンピンコロリ”は本当の意味で、健康な人にだけ与えられる
最後のご褒美と言えるのかもしれません。