東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

 からだの像

人体の像を、からだの構造(つくり)と、その動きから、
直接力学的な像の歪みとして、見いだす。

これは「病が内に発して外表に応じてくる」という見方ではなく、
「外から見て、これは病気になるぞ」と気づく点を見つける理由が
ここになければならない。

からだは、歪みを写す像である。それを運動系(ボディ)の歪みという。

健康傾斜の歪体化とは、病が内に発して外表に応じてくるのではなく、
外からみて、これはおかしいぞ、放っておくと、病気になるぞ、という
プロセスである。

内からこわれるのではなく、外からくずれていく。
どのような症状疾患を診てもボディーに歪みがないことはないのである。

その歪みはどこからくるのか。
それは、からだが病気をつくりだすのではなく、
思考が病気を生みだしているのだ。
その思考は、生き方にある。生き方に間違いがある。
操者の役割は、治すことに没頭するのではなく、
本人に「自己責任をまっとうさせること」にある。

操者は腕自慢であってはならない
(治すことに夢中になってはならない)。
とは加療であり、自己責任をまっとうさせる指導の場である。

一発で治そうとすると、ケガをする。
それは、手柄を立てようとする欲である。
臨生は腕自慢を競う場ではないのだ。

療術、治療はどうしても診る側の世界である。
自分が主語ー主体である。
しかし操体はからだ、身心(みこころ)をとほしての
生命(いのち)が主語、主体である。