東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「人との繋がりが与えてくれること」

今年になり昔の友人、知人と偶然再会することが多い。それも私が普段から意識している人達との再会である。

今までの自分は何百、いや何千もの人との出会いがあり、その中で繋がりたい人を選択してきた。それは意識的に選択してきたというよりは、本能的に私が数ある出会った人達の中から選択してきたのだろう。

そんな自分が選んだ友人達との繋がりを年の経過と共にいつの間にか繋がりが薄れてきた今日この頃だったが、この再会は私にとって本当に繋がっていたい人、または己の人生に必要な人達とは繋がっていなさいという神様からのメッセージだったように思える。

また知人や友人と会うことよりも自分の時間を愉しんでいたことで外から受け取れるものが極端に少なくなってしまったように感じる。これからがこういった自分の姿勢を少しずつでも変えていきたいと思う。
その理由は私がこれから歩んでいく臨床家としての人生には沢山の人達との繋がりが不可欠になるからだ。特に学ぶということにおいて人から得られることは数知れないほどあり、自力だけでは己が得られる気付きにも限界がある。また操体を学ぶことにおいては同志から得られるものは計り知れない。

よく「自分はパソコンと携帯があれば生きていける」という若者がいるが、確かにそれがあれば生きていく上で必要最低限の情報や時間潰しにはなるのかもしれない。

ただ私が思うにこういった人達ほど自分が得たいことを「手っ取り早く」という意識が強い。私も昔はそういった人のように出来るだけ早く、安く手に入れたい人間であったが、そうやって手に入れたものは薄っぺらで先が無いのである。
やはり同じ情報を得るにしてもインターネットや本から得るのと自分が知りたいことを深く極めた人から「生きたコトバ」で聞くのとでは大きな違いがある。

例えば極端な例になるが操体を勉強したいが、まずはネットや書籍で勉強しようというのと、よし最初に三浦先生の所に勉強しにいこうというのでは身につく速度が全く異なる。それは技術や経験値もあるが、それ以上に誰かの声を聞いて学ぶことはコトバの力と自分を奮いただせてくれる波動があり、知った先がある。こういったことからも一流になりたければ人との繋がりを大切にしていける人間でなければならないということが解かる。

一週間お付き合い頂きありがとうございました。来週からは半蔵さんです。

お愉しみに。