東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

神経症16

昨日のつづき

 「人格」というのは保護手段として生長していき、その人格の機能は子どもの要求を充たすことにある。要するに子どもは自分がいずれは愛してもらえるように、両親の望みに適う人間になろうと努力するのである。しかし両親好みの人間になろうとするとき、必ず緊張が生ずるリスクを負う羽目になる。しかしありのままの自分自身であるときには、その緊張はいとも簡単に取りのぞかれる。

 小さな男の子が父親に抱いてもらいたいと望んでいるのに、父親ときたら、「男というものは抱き上げてキスしたりするものではない」と考えているとしたら、その男の子は、父親のために男らしくなろうと必死に努力し、自分の要求を否定して、荒々しく振る舞うことになってしまうことだろう。

 しかし、この男らしいという荒々しい人格は、緊張を生むとともにその緊張を拘束してしまう。そしてこの少年はやがて、一種の精神的な潰瘍を患い、将来において精神療法の世話になることが想像できる。この少年が荒々しくなったのは、何よりも父親に愛してもらいたいためであったのだが、その動機はとうの昔に忘れ去られてしまっている。こういう男らしさの象徴とでも言いそうな荒々しいことをやめさせることは、愛と承認を失うことに、すなわち、原始的な絶望に直面しろと、その男の子に迫っているようなものだ。

 このように過去に否定された意識に上らない感情に基づいて現に行なっている行動は、すべて象徴的な行為である。要するに、その人間は、否定された古めかしい要求を充たすために、現在あることをやり通そうとしているのである。こうした無意識の要求に基づいて現に行なっているすべての行動を、象徴的な無意識の行動と呼んでいる。その意味で人格とは、神経症患者の象徴的な無意識の行為であり、神経症患者の自己保存の方法、それに、表情や喋りかたや歩き方に至るまで、古くて葬られたさまざまな感情に対する反応にほかならない。

 こうした慢性的で、神経症的な緊張を止めることができるものは、ただひとつ、結合だけである。他の行為は緊張を一時的にごまかすことはできるが、決して解決するものではない。生まれつきの緊張や基本的な緊張ないしは基本的な不安などというものは現実には存在していない。それらは幼かった頃の神経症的な状態から派生したものにすぎない。神経症とは、当人が意識しているかどうかにかかわりなく、緊張した状態のことうをいうのである。

 神経症とは防衛の同義語ではなく、人間のさまざまな防衛方法全体を意味する広義でいう言葉なのである。したがって、神経症のさまざまなタイプは、当人の独特な防衛機制を示しているにすぎない。神経症を患っているものは、日常生活のなかであらゆる種類の防御手段を用いるので、典型的なタイプなどというものもない。しかし、神経症の人間はあるひとつのスタイルをとりがちであり、たとえば、異常に知的なものにこだわる傾向がある。便宜上、これもある種の神経症と名づけることはできる。

 どんな神経症も例外なく、現実の感情を緊張に追いやっている非現実の体系の存在を証明するものであり、人間の感情と要求のほとんどは、似たりよったりのものである。複雑なのは、それらに対する我々の対処の仕方である。しかし、その下にひそんでいるものに、もし達することが出来るならば、その複雑さにかかわり合う必要はまったくない。

 原始的な苦痛が存在しているかぎり、神経症にかかっているものはそれらに対して構えざるを得ない。神経症の人格は、自分自身を守るために自らが見つけ出した、多少なりとも確かな方法である。原始的な苦痛を取り除くことは、とりもなおさず神経症の人格を取り除くことになる。つまり、最初の一連の原始的な感情が、神経科学的エネルギーであって、それがたえず肉体的な運動や内的圧力を強いる運動エネルギーや機械エネルギーに変化しているのである。

 操体でいう神経症患者の自力自療というのは、この変型したエネルギーを本来の状態へ戻し、内部的な力に強制されて行動することが二度とないようにするところにある。まず肉体レベルで自分の欲求が満たされたとき、快感がやってくる。そしてその快感に根ざした感情が喜びになる。逆に肉体の望みが満たされないときは、悲しみの感情が起こる。この喜びや悲しみの感情をつかさどっているのが、脳の前頭葉と言われているところだ。この部分は系統発生的にも新しい皮質で、高等動物ほど発達しており、快を味わうというように感情豊かに暮らすことは、前頭葉の進化により寄与するものと考えられる。

 神経症にかかっている実に多くの人たちが、不快感や怒りや恐怖といった動物的で情動的な反応があり、次にそれに根ざした感情から圧力を受けていると感じているために、興奮ないしは混乱しているのである。だから、じっと坐っていることが出来ず、いつも何かをせずにはおられない状態にある。それは緊張が、からだ全体に連動していることを証明している。感情を阻止され、要求が充たされないたびに、からだの全組織に影響をおよぼす内面的な圧力の度合いが強められることになっていく。

明日につづく