東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

神迎え

お、気が付けば今日は12月1日。遂に師走に突入しました・・・
今日、皆さんの中で神社へ行く予定のある方は、コッソリと
本殿にて耳を澄ましてみて下さい。
奥の方から『ゴト!ゴト!』と何かを動かしたり、運んだり
する音が聞こえてくるはずです。

ん?何故かって、全国各地の神様は皆こぞって、出雲之地へと
集結するから、その旅支度で忙しいのです。出雲之地はホントに
忙しい一週間となるのです。

通常、皆様のウチ(島根以外)のカレンダーって10月は『神無月』
かんなづきと書いてありますが、島根では神在月(かみありづき)』
になっていて、全国の神様が集まってくると言われています。

しかし、そう思って10月に出雲之地へお越しになっても、残念ながら
平常営業の出雲なのです。そう、この10月は旧暦での話しですので、
実際に神様達がいらっしゃるのが、大体、12月1日から7日迄の一週間
位になるのです。

先ずは12月1日に『神迎神事(かみむかえしんじ)』と言われるものが、
19:00より、国譲り神話で有名な稲佐の浜で行われます。
御神火を焚き、注連縄が張り巡らされた斎場の中に神籬(ひもろぎ)が2本、
傍らに神々の先導役となる竜蛇神が海に向かって配置されます。

神事が終わると、神籬は両側を絹垣で覆われ、龍蛇神が先導となり、
高張提灯が並び奏楽が奏でられる中、参拝者が続き、浜から出雲大社への
「神迎の道」を延々と行列が続きます。

この後、出雲大社神楽殿において国造(こくそう)以下全祀職の奉仕により
「神迎祭」が執り行われます。これが終わると、ようやく神々は旅(宿)社
である東西の十九社に鎮まられるそうです。

神々の先導の竜蛇神は、豊作や、豊漁・家門繁栄などの篤い信仰があります。
神迎祭終了後には特別拝礼、さらに神在祭期間中にも八足門内廻廊に竜蛇神を
奉祭し、一般の自由参拝が可能です。

この稲佐の浜普段来るとこんな感じで、特にこの時期はもの悲し
さすら感じる程の雰囲気です。若かりし頃はこの浜で花火上げたり、
お姉ちゃんと海見たりしていました。


私、古代史やら神代の話しは未だ疎いもので、フォーラム相談役某氏
からは突っ込まれそうですが、この稲佐の浜界隈は前述しましたが
『国譲り』神話の舞台にもなっております。
経緯としましては、天上界(大和?)に居る天照が地上界(出雲)を治める
のはヤッパリ私たちだ!と征服目的で傲慢にも使者を送りました。

最初の一人は大国主命に心酔してしまいそのまま家来になり、その
次に送った使者も大国主命の娘に恋をして住み着いてしまったので、
埒があかない天照は遂に武力を持って出雲に圧力を加えるべく使者
を送りました。
外交政策が上手く行かないから遂には武力行使というありがちなパ
ターンで攻めたわけです。

よ〜し!戦争だと喜んでいた天照の期待を外すように、大国主命
「私の一存では返事出来ないから、息子に聞いとくれ」と使者に言い、
結局、国は天照の子供に差し出すと無血開国をしてしまいました。

但し、国を差し出す代わりに大社(おおやしろ)建設を願い出たのが、
今の出雲大社でした。

それら一連の会談やら何やらを行ったのが、この稲佐の浜界隈だったのです。
この辺りの話しを相談役氏に語ってもらうと一昼夜かかりそうですが、ザックリです。

その様な古代の荘厳な歴史の重みを感じつつ神様をお迎えすると感慨も一入ですねぇ〜〜

この神事は今でこそ大人気で、人がたくさん過ぎて何をやっている
のか見ることすら難しい位のイベントになっております。
が、数十年前までは参加者が居なくて、各地区からの割当で無理矢
理人を駆り出していたそうです。

そう考えると昨今のスピブームや、遷宮効果に地元の人は喜んでい
るようです。後継問題や過疎化も神話と結びつけると未だ未だ可能
性がありそうですね〜