東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「感覚する」ことを「おさめる」

「感覚する」ということを怠ることは

自己責任を放棄していることになります。

 

自分の行為が果たしてからだの要求に適っていることなのか…

 

橋本先生は

「治すことまで関与するな」とおっしゃっていましたが、

「きもちよさをききわけさせればいいんだ。きもちよさで

治るんだからな」ともおっしゃっていました。

 

きもちよさをききわけるプロセス。

本当にその行為がからだにとってきもちいいものなのか、

からだが要求しているきもちよさなのか。

 

「感覚する」ということは自分自身のからだへの

礼節でもあります。

 

からだの個々の細胞が健康を維持するために

それぞれの役目を日々おさめているように、

私たちも「感覚する」ということを「おさめる」責任が

あります。

 

橋本先生が

「これからは動きよりも感覚だ」とおっしゃってから

操体も随分変化(進化)しました。

 

操体にはもともと自己最小限責任生活必須条件(息、食、動、想)

の営みが崩れると「生活の歪み」から「ボディの歪み」につながり、

不健康に傾くという自己責任におけるプロセスがあります。

 

「動きから感覚」に変化(進化)したことで

「感覚する」というプロセスを自己責任において

「おさめる」必要性が一層増してきたように思います。