操体において自己最小限責任生活必須条件である
息、食、動、想の営みとそれぞれに関わる環境が
健康維持において大切なことは既に知られているところです。
「生活の歪み」はこれらの営みのバランスが崩れることに
よって現れてくる。だから、この四つの営みに気を付けて
いれば、きっと健康は維持できる。
ではどうやって気を付けるのか?
色々な操体の本に書いてあるように
「腹式呼吸で…」、「歯の種類と本数は…」といったことを
忠実に守っていれば良いのかというとそうではないと思っています。
操体が感覚重視に移行したときから「気を付ける」は「決めつける」
ではなくなりました。
動における般若身経も身体運動の法則に従って行っていれば
良いのかといえばそれは違うと思います。
あくまでも法則という型があり、スタンダードルールに
のっとって営んでいくというのは根底に必要ですが
そこに「感覚する」ということをおさめていなければ
盲目的に遂行するのみになってしまうように感じます。
自己責任における営みも
「感覚する」ということをおさめているからこそ
自己責任たり得ると思うのです。
「決めつけ」で営むことは「楽」であり
自己責任の放棄でもあります。
自己責任だからこそ、からだが要求する
きもちよさを味わうことができるのです。