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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

以前の記憶より。

おはようございます。

   このところの陽気のせいか、気がつけば部屋の片隅の観葉植物も随分と大きくなってきて、瑞々しく光を反射させています。葉っぱに触れてみると、若々しい肌のようです。
 これから段々暑くなってきますから、葉っぱの感触を確かめながら、土が乾いてしまわぬよう、波動の質の良い水を与え、土壌のバランスを保ってあげる事も大切ですよね。この観葉植物とは、かれこれ10年以上の付き合いとなります。

 

 ふと、随分と前に、この観葉植物を見て「みどりって、みどりなんですね」と言っていた人の記憶が甦った。操体の臨床を終えた後、ありのままを見て、感じたまま、ありのままに素直に口にした言葉だった。
 こうして文字にして書き出して読めば、意味不明かもしれないが、その時の少女のようにキラキラした瞳から、何を言いたいのかが、直ぐに伝わってきた。

 その方によれば、今まで木々の葉の緑も、トタン屋根のペンキの緑も、同じ緑という感覚だったという。ちょうど今ぐらいの草木が生長し、瑞々しさを湛えながら様々な緑が溢れる頃合だった。濃い緑、薄い緑、黄緑、硬そうな緑、やわらかそうな緑、それらがサラサラとした風を受け、幾重にも折り重なるようにして、生命力の輝きを放っているのに、いつもと同じのペンキの緑と一緒にしてしまったのでは勿体無い。

  色は反射する光の波長によって決まるが、目にうつるものがどういう印象を与えるか、どう認識するかは、その人の都合によって決まるという。
 緑とは、こういう色なのだとはじめから決め付けてしまえば、忙しい人には都合がよく、合理的なのかもしれない。しかし、思考による合理性は、自分の我ばかり増大させ、からだのことはお構いなしといった状態を招きやすい。心とからだのアンバランスも生じ、この方が怒り交じりに訴えていたように「からだがいうことを聞いてくれずに、あちこち痛む」という様な状態ともなりやすい。
 からだのパーソナリティを尊重し「からだにききわける」ということは、本当に大切な事なのだ。

  この方は、こちらの指示(お願い)と介助があったにせよ、自分自身で動きを表現し、その感覚をからだにききわけ、ききわけた気持ちよさを十分に味わった。そうすることで、からだ全体の調和が密になり、心とからだのバランスを取り戻していった。快によって調和が成り、からだがおさまった。そして、そのおさまった感覚を天の中心におさめた。
 本人には、そういった顕在的な意識はなかったと思う。本人に宿る神性が無意識的にそうしたのだと思う。有り難い事だと思う。
 そして本来の自分自身を取り戻していった。そこにはもう、からだの不快感はなく、からだが感じたことに素直になれる自分がいた。そうして出た言葉が「みどりって、みどりなんですね」だったのだと思う。