東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「真の治療とは何か?」

操体を学んでいく中で様々な治療法と触れ合い、交流する機会がある。

 

最近では春のフォーラムにもお越し頂いた腱引きの小口先生の治療をDVDで観る機会があったのだが、戦場医学というだけあり、臨床のスピード、触診の正確さはとても勉強になる。

 

操体の臨床とは相対する臨床を見ることで自分の臨床に新たな気付きと治療という行為の目的を考えるきっかけを与えてくれたのである。

 

「真の治療」とは一体何なのか。一般的な治療には薬物療法、外科的療法、理学的療法、鍼灸療法、指圧療法、整体療法等、医術を通して様々な治療が行われている。

 

いずれの治療法も結果的に患者の「壊れたカラダをどうにかしてほしい」という要求に応えることが最大の目的としているが、果たして患者のそういった一方的な要求に応えることで互いが救われるのだろうか?またカラダを治すことだけが真の治療なのだろうかと疑問に思う。

 

この問いの答えを模索していく中でこういったコトバと出会った。

 

「(施術者する人間は)的確な効果を収めて治療となるためには、これらの医術を受ける患者側において、日々(受ける)療法を身に実践することによって、患者の無意識に、よくなる、治って行く、という連想が働くから治るのであります」(医学博士岡田一好著「生命の医学 P161より」

 

この本、このコトバは自分がどういった臨床家を目指すのか、どういった臨床をしていきたいのかを考えていく上で、私に大きな指標を与えてくれた。

 

前日のブログでも少し書かせて頂いたが、患者が体感する痛みも体が治る過程において必要なものであり、その痛みも患者のカラダが悦ぶヒビキとなり、やがてカラダの治癒力、意識、生き方が変わってくるのである。

そういった臨床を成すには岡田一好氏が言われるように療法を実践していくこと、これは自分とカラダと向き合うことであり、患者自身がいかに自己責任と向き合い付き合っていくか、カラダの治癒力に繋がる命の営みを無意識に全う出来るかということである。

 

操体と他の医療行為の大きな違いには「カラダに感覚を聞き分けること」、それに連結して「自己責任との向き合うこと」が挙げられる。それを結ぶキーワードとして患者自身が自分自身のカラダの治癒力を他人任せにはせず、向き合っていけるかということである。そういったことを気付き、実践していき、それによって「おさまるところにおさまる」ように手助けすることが「真の治療」ではないだろうか?