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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

⑤”ひずみ”と”ゆがみ”

岡村郁生(おかむらいくお)

いよいよ「操体マンダラ」まで三日となりました。

なぜ、「操体」と「マンダラ曼荼羅」がくっついているのか。

 

まず、参加することで感じること(しないでどうこう言わない)

私たちの「からだ」を通して感じて理解できることもあります。

 

さておき、今日のブログもよろしくお願いします。

 

真っ直ぐに揃った背骨は、健康的な証?

常にきちんとした姿勢であれば健康維持できる?

この世の中にある常識は、時に私たちの自由を奪っている。

「からだ」はもっとシンプルに語ってくれている。

シンプルに「からだ」に「ききわけて」・・・・・・・・。

 

倫理は道徳を生みますが、道徳は人を自由にしてくれますか?

歪んでいるといわれても、ひずみがあってもゆがまないのは愛。

 体が成熟すること、心が成熟すること、どちらが先でしょうか。

背骨が曲がっても、足の長さが違っても、顔が非対称的でも・・・

睾丸が右上がりでも、陰茎が左に曲がっていてもいいじゃない!

 

「コ・コロ」は常に意志が貫通しているわけですから、私たちの

「からだ」を通じて「意識」できるのです。これが救いなのです。

 

目的があってこそ、その現象・変化をうみだしているのですから。

・・・・・・「歪んで 助かってるんだ!」・・・・・・・と。

 

それが腑に落ちるまで、意識を通じて「からだ」に「ききわける」

このことを努々忘れずに、”朽ちることなく真理に繋がる”ような、

操体」の学び”に”してほしいのです。

 

何故なら、「操体」を学んでいると感じる「操体法」の“法”とは、

まさに、“法=ダルマ”であると言っても過言ではないからですよ。

(注:ダルマの意味はググって下さい・・・では不親切なので後述・・)

 

この自然法則を大切に、「構造力学」も大切、操体を学びとるなら、

「運動力学」も大切に、私自身が自由とはいったい何か、現象のみ

に囚われず、見えない真理の探究こそ自由基準となるのですから、

その”軸”を感じとるように、コツコツ学んでいけば愉しい。

 

 

息相とワタシ~YouがMe~

 

生命に人間の「からだ」があるかぎり、停滞すると反応は現れる。

そこには流れやすい向きと停滞しやすい向きがある。

向きに前後・左右・上下と「息」を通してみると、通る流れと別に

通りにくい流れは、"反応"として見つかる。 

そこに流れを取り戻した方向は現れてくる。

そのまま通して流れの勢いが変わり、極まった際に反応は消える。

 

「流れに身を逆らおうとしたところで無駄なことだ。

 流れに身をまかせれば、どんなに弱い人でも岸に辿り着く」

             =セルバンテス=~スペインの小説家~

 

・いい加減にやっている常識

・本当かなと思っている非常識

 

学びつつこの繰り返しを、幾度となく、限りなく、繰り返したのです。

非常識なコトを真剣にやり続けること→本当のホンモノになるようです。

                                  岡村郁生

 

 

※注:「ダルマ」~「法」~「cosmos」の繋がりについて。

   仏教的用語では、全宇宙を支配するような”秩序=コスモス”のこと。

   すべての存在の背後にある真理のこと。

   この全宇宙を支配するようなものがあり、それは逆に「法」の

   真理においては、”お釈迦様”も、仏の生涯モデル”の一霊となる。

   故に、全宇宙の法則における一例になっているというのです。

   ですから、「操体」の「法」は侮れない一文字として捉えます。

   ちなみに、有名な「気持ちよければなにやってもいいんだ」的

   放言解釈において、師を生涯モデルとして師事しているならば、

  「操体」の「法」を学びとおす上では、これを、限りない大きな

   「快」に通じた宇宙の真理の探究としても捉えているわけです。

   学びはある程度まで修めなければダルマ=真理とはわからず!

   ・・・かもしれませんが、しかしそれさえも「法」の上では自由です。