生命の本質とは、自動性なんですよ。
「からだ」で覚えたことが自動的にできるようになるのは、
私達の生命として授かった素晴らしい能力なのでしょうネ。
何かができるようになるのは、自分の「からだ」の神妙なる
システムを、内側の感覚(皮膚や内臓や空間等々)で掴める
ようになるからです。
そもそも「からだ」の内側の感覚に向き合うには、プロセス
としての「不快感」や「※予備感覚」はつきものですから、
思考形態の中に生じる「痛み」や、反応に対応する表現とし
ての「歪み」もあり、「快・不快」は必要となってきます。
ただし、現象において必要以上の思考における主語も「脳」
にあって、「心」を通じて「息」の自律性に干渉してくる為
に「心」は「情動」を気分に応じて表しているのです。
その時に感じている違和感は、ワケが知りたい!という本能
にスイッチを入れているようです。
諦めずやり抜くと「快」を通して正解が生まれるように・・。
「幸いなるかな 天の流転に従って 静かに流転する人々」
=モンテーニュ~フランスの思想家~=
≪YouがMe~想相~≫
学問していくのではなくて、学問にしていく。
一歩ずつ無理のないように着実に歩む。
生きているコトと“性”は関係がない。
進化してしまったら戻れない。
戻る(退化ではない)するときは進化したところから退化する(退縮)
歩めば、危ぶまれたし・・・。
対比の価値基準ではなく、過去の基準ではなく、今に歩みを生かす。
ハイ皆さま!それでは、一週間のお付き合い有難うございました。
明日はダルマを実践する巨匠、日下実行委員です~お愉しみにネッ。
岡村敬郁
※おまけでゲッツ!敬郁のオススメ書籍:~現代的「想」の読み解きにナイス~
「操体」の『頑張らない・威張らない・欲張らない・縛らない』「バル戒め」、
今回のテーマ「ゆがみ」に準じた意味『歪んで たすかっているんだ』に加え、
私自身の指針となる放言「病気なんてねえんだって何べん言ってもわかんねえ」
・・・などに通じているのが、精神科医の樺沢紫苑先生の著書です。
むつかしくなく、だれでもさらっと読めて、クライアントの中でも治りやすい方
と、そうでない方がいるのはいったい何故なのか?理解しやすくなりますヨ~ン。