「感覚主体で臨床が通せる」
操体を学んで分かったことです。
分かったというより、からだを通して納得したと
いったところでしょうか。
言葉にはっきりできないけど、たった今この瞬間からだ
で感じていること。その中にからだが整うための道筋がある。
「感覚」というとあいまいで、客観性に欠けると
感じるかも知れませんが、理路整然で1+1=2と
なるような「思考」の世界にはない感動があります。
背中を伸ばして
肩の高さを揃えて
足の長さを揃えて
骨盤のズレを正して…etc.
筋骨格系を意識して、筋肉を伸ばして、縮めて、
関節を矯正して…「歪み」と向き合う。
そういった世界とは別に
もしも、「感覚」を通して、「きもちよさ」を通して
「からだ」を通して、「皮膚内臓系」を通して、
「呼吸」を通して「無意識」を通して…
言葉にならない次元から「歪み」にアプローチできたなら。
私はそういった臨床を通していきたいと思います。
からだを介して人に何かしらの影響を与える仕事を
通すのであれば、自分のからだを通して納得したものを
通していきたいと思います。
ふと、手元にやってきた本の中にこんなことが
書かれていました。
ゲーテの言葉だそうですが
「自分の中にあふれるものがなければ、
人を感動させることはできない」
というもの。
三浦先生も「日々、自分に感動しているか」と問いかけて
くださいます。
からだを通して自分自身が感動することで変化する。
そういったものでからだがあふれている時、人は
元気になるんじゃないかなと思っています。
お互いが元気になる臨床が操体なんですね。