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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

 今回のリレーブログは「愛」というテーマが決められた。

 それではゆっくりと愛のテーマに入ってゆこう。

 古今東西において愛の通たちは、愛に関してより多くを、そして知識に関してはより少なく語ってきている。なぜなら、我々のいる人間世界で、愛というのは、実際に愛すること以外に他のどんな方法をもってしても達成することのできない唯一の事柄だからである。

 愛するという方法には、まったくテクニックというものが存在しない。それなのに多くの人々がムービなどで愛について学ぼうとしている。また多くの人々がポルノ文学においても愛について知ろうとしている。このように多くの人々が愛について知ろうと、小説を、詩を、そして他人の恋文などを読み漁っているのを目にすることができる。

 そのように我々が愛について多くの事柄を知ってくるにつれて、その危険性も同時にそこに潜んでいるということをご存じだろうか。なぜなら愛について知ることは、愛そのものを知っていることにはならないからだ。実際に我々が愛について知れば知るほど、愛を知る可能性はますます減少してしまうことになる。なぜなら我々は自分がもっている愛の知識の中で迷ってしまうからであり、自分は愛そのものを知っていると思い始めてしまうのだ。

 我々は、世間で愛を商売にしている映画俳優たちが、いつもプライベートの愛情生活では敗北者になってしまっているという事実を少なからず知っているはずだ。きっと芸能マスコミ誌などによって見たことがあるに違いない。それらから判断できるのは、俳優たちには決して愛の成功はないと言わざるを得ないことである。

 ハリウッド映画の超大スターだったマリリン・モンローでさえ自殺してしまった。その時、モンローはハリウッドの頂点にいた。故ケネディー大統領でさえモンローに恋をしていた。世界中がモンローに恋をしていた。だがしかし、どういうわけか、モンローの生涯はとても空虚なものだった。モンローは自分の生涯の、名声のまさに頂点において自殺してしまったのである。あんなに美しい女性が自殺してしまった。モンローに一体何が起こったのだろう?

 なぜ、俳優たちはいつも自分の現実の愛情生活では敗北者になってしまうのか?
 俳優たちは愛についてあまりに知りすぎたものだから、愛に関して本当にその中に入れなくなってしまったに違いない。俳優らは同じ役柄を演じ続け、同じゲームを演じ続けてゆく。まるで俳優らは、舞台の上で演技しているかのように現実の愛情生活の中でも演技し続ける。舞台の上なら何ら現実に巻き込まれることもないので問題ないが、現実の生活の中では、ひとり芝居になってしまう。すると、その演技は空っぽだ。だから、俳優たちは空虚な仕草をやり続けることになる。しかし、それが現実生活では問題になる。

 我々は愛については多くの情報を得ることができる。しかし、それは愛を知る手助けには決してならない。愛は唯一、現実に愛することによってのみ知ることができるものだ。ということは、愛については何も知ることなく、ただ愛のなかに進んでゆくという行動のみがあるということだろう。