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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

愛 7

 愛とは、我々の存在の内奥無比の核心におけるラディカルな変化であり、それは、一つの経験であり、実存的で味覚のようである。
そしてまた、本当の食べものは実際に愛のシンボルでもある。
我々はなぜ自分が母親を愛するのか観察したことがあるだろうか?
 
なぜ母親と子どもの間にはあれほどに強い愛が存在するのだろうか?
それは、母親というのは子どもにとって、胎児にとって最初の食べ物であるからだ。子どもは母親を食べてきた、子どもは母親の胎内に入ってきた。そして子どもは母親を、最初の愛の源泉というより食べ物の源泉として自覚する。後になってから、子どもが意識の上で成長してゆくようになると、当然のことのように母親への愛を感じるようになってくる。

 食べものが最初で、その後に愛が続く。そして食べ物と愛とは、それが同じ源泉からくることからいっしょに結びついて考えられる。だから、もしどこかの家を訪問して、何も食べるものを出されなかったらいい気持ちがしないのはこのためだ。我々は拒否されたように、愛を与えられなかったかのように感じる。その家の人たちにとってあなたは客ではなかったのだと・・・・・・。

 もし食べ物や飲み物を出されたら、たとえその人たちがどんなに貧しく、たいしたものは差しだせないにせよ、その人たちの持っているものを何であれ出してくれたなら、我々は好感、安心感を抱く。我々は快く迎えられたのだ、その人たちは食べ物をあなたと分かち合った・・・・・・。というのも食べ物は愛を連想させるものだからだ。

 女性が男性を愛するときには、必ず男性のために食事を用意したがる。彼女は食事を差しだしたい、彼に食べてもらいたい。もしそうすることが許されなかったら、女性は不安を感じる。そのように愛は食べ物を通して流れてゆく。

 愛は眼に見えない。だが、愛には眼に見える乗物が必要だ。それによって食べ物の質自体が即座に変わる。もし彼を愛している女性が彼の食事を用意するとしたら、それは違う質をもつ。その質は化学者が分析できるようなものではない。が、とにかく違う質をもつ。

 もし怒っている人が、あるいは敵対してあなたを憎悪している人が食事を用意するとしたら、それはすでに毒されている。なぜなら、怒り、憎悪、嫉妬などは血の中にあるからだ。それらには独特の放射力があって、手を通して食べ物に入ってゆく。

 もし本当にあなたを憎悪している女性があなたの食べ物を用意するとしたら、彼女は知らない間にあなたを殺すことさえできる。が、どこの裁判所も彼女を裁くことはできない。あなたの食事を用意する女性が本当にあなたを憎悪しているとしたら、彼女と暮らすのは大変に危険なことだ。それは効き目が遅い猛毒薬になる。

 だが、もしあなたを愛している女性なら、彼女は食べ物を通じて自分の生命を与える、彼女は食べ物を通じて自分の愛を与える。彼女は食べ物を通じてあなたの方に動いてゆく。

 このように食べ物は非常に基本的なものであり、それは分かち合うことができる。そして分かち合いを通して我々は自分の動物性を背後に置き、本当の愛ある人間になれる。


 今回は最終日まで操体につなげることができなかった。振り返ってみると、テーマ「愛」にこだわりすぎたのかも知れない、たまにはこういうこともある。操体へのつながりは明日から担当する香実行委員に期待したい。