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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

〜操体と愛(4)〜

「対象をどうにかしたい」という思いは愛の原動力かも
しれませんが「相手がしてほしいことを施す」というのも
愛の一つの側面です。

ということは相手が何を要求しているのかを
把握する必要があります。

臨床を通すうえで欠かすことが出来ないものの
一つが「クライアントの要求」です。
腰の痛みを訴えてきたのに肩を揉んでもしょうがありません。
(肩を揉んで腰の痛みがとれれば、また別ですが…)
腰の痛みがとれるように診断し、治療を施します。
まずは腰が痛ければ腰を診ますし、腰以外のところを診る場合も
腰痛と関連付けて追っていきます。
治療法のほとんどは症状、疾患別に対処しています。

そのように対処して「クライアントの要求」が満たされれば
万々歳ですが上手くいかない場合はどうしましょう?
マニュアル通りにはなかなかいかないものです。

では、「クライアントの要求」を満たすためにもう少し視野を広げて
みましょう。
「腰の痛み」を発しているのは果たして誰なのか?まずはそこから。
声を辿っていけば分かることですが、それはクライアントではなく
クライアントの「からだ」です。
クライアントの「からだ」が発信している「痛み」を
クライアントが受信して治療者に訴えているのです。

これが分かると「クライアントの要求」とともに
「からだ」にも要求があることが分かります。

操体を学んでいる、耳にしたことがある方々にとっては
既知の事実ですが、「からだ」は「きもちよさ(快)」を求めています。
クライアントは「痛みをとってくれ〜」と要求しますが
「からだ」は「きもちよさを味わいたい〜」と要求します。
きもちよさで「からだの要求」を満たすことが出来れば
「からだ」が発する「痛み」は治まり、結果的に
「クライアントの要求」は満たされます。

逆に「からだ」が要求していないもの、拒否しているものもあります。
それは「不快」という感覚です。

いくら「クライアントの要求」のためと言え、
それが「からだ」にとって「不快」なことあれば、
「なんで一生懸命やっているのに結果が出ないんだよ!」ということ
にもなりかねません。

もし、愛を定義するうえで「相手がしてほしいことを施すこと」という
項目があるのならば操体臨床は「からだ」にとっての愛なのです。

「自分がされて嬉しいことを相手にする」
「自分がされて嫌なことは相手にもしない」

「からだ」にとって、前者が「きもちよさ(快)」となり、
後者が「不快」となるのです。

「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
4月29日(祝)に開催いたします。
『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980