読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

花言葉より。

友松 誠(ともまつ まこと)

おはようございます。

 上州名物の空っ風が一休みしている穏やかな時間に、外に出て散策していると、どこからともなく甘く芳しい香りが漂ってきました。人工的でなく、この季節にシックリくるようなかほり。指先が冷えて思わずスリスリしている時に、いつも匂っていたようなかほり。見渡してみると、黄色い花を咲かせた木がありました。ロウバイのようです。

 近づいて花を見てみると、ミツバチの羽を幾重にも綺麗に並べて、こじんまりと整えた、そんな可憐な花です。ロウバイは蝋で作った梅のようだから蝋梅と書くそうですが、そういうのを聞くとなんだか和菓子にも見えてきてしまいます。
 2月というと、すぐに梅を思い浮かべてしまいますが、梅の前にもこんな花が咲いていたんですね。かほりは無意識に嗅いでいても、いつも寒いとか忙しいとかで、こんな可憐な花がこの時季に咲いているとは気づいていませんでした。心の豊かさが足りないですね。

 蝋梅の花言葉はいくつかあって、その中に慈愛というものがあります。
 慈愛。辞書では、親が子を慈しみ、かわいがるような深い愛情、とのこと。キリスト教では、キリストの純粋な愛だという。宗派によってキリストの純粋な愛についての解釈や、重点をおいて啓蒙したい部分というのは、それぞれだと思う。たとえば、キリストの慈愛の頂点を成すのは、その無限の贖いだとして、ヨハネ福音書の15章にある「人がその友のために自分の命を捨てること。これよりも大きな愛はない」という言葉を挙げている宗派もあると聞きます。

 この言葉を聞き、私は大変立派な事だと思う反面、捉え方によっては恐さも感じるのです。友と友のあいだであったなら崇高な事だと思う。しかし、権力を持った人間が、こういう言葉を支配とか領土拡大の為に利用するとなったら話は別になってくる。それは西洋の歴史を振り返ってみてもあきらかだ。この教えが悪いというのではない。あくまで捉え方の問題であり、状況によってはそういう捉え方をされてしまう要素があるということなのだ。

 その要素とは、一つには、この教えの愛は無条件の愛ではなく、条件付の愛だという事。
先程挙げた一文だけではわかりづらいが、この教えの前の部分と後の部分もつなげると、このようになる。
 「わたしのいましめはこれである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい(15章12)。人がその友のために自分の命を捨てること。これよりも大きな愛はない(15章13)。あなたがたにわたしが命じることを行なうならば、あなたがたはわたしの友である(15章14)」

 つまり、崇高な愛の教えではあるけれども、極端な見方をすればキリストが人類を愛したように、愛し合う事ができなければ、友ではないということになってくる。キリストの愛がどの様なものかを知らなければならないし、そうなるとクリスチャン以外は友ではないということにもつながる。宗教上の対立や宗教と政治が絡み合い、宗教戦争のような争いが起これば大義名分に利用される恐れもある。そういった時、真っ先に犠牲になるのは純真な若者なのではないだろうか。

 一神教の中の、条件付の愛の教えというのは、道徳観や倫理観を育む上では大切だと思う。しかし、ややもすると縛りになったり、その道徳観からの比較対称が生じ、排除、対立の方向性も出てくるということなのだ。
 最近、中東の方では大変な事になっている。宗教の名を語り、対立を深める事に邁進し、その宗教の教えを捻じ曲げて解釈し、自分達の組織の正当性を主張し、領土の拡大をはかる。そうするためには、自爆テロも辞さない、また、それを友、同志に求める、強要する。自分達に賛同しない、友になれない人達の生命を、生命と思わぬ蛮行をする。そんな事が許されるはずはない。名前を使われた宗教も、本当に迷惑していると思う。

 宗教が支配の道具にされるという事は、あってはならないことだと思う。神は支配主ではないのだ。神が支配するために、人間を創造したとは思えない。私達の悦ぶ姿、歓喜に満ちた姿を見たくて、愛と調和という理念にもとに、自分(神)に似せて創造したのだ。だから私達の本質的な悦びは神の悦びであり、本質的な快は神の快でもあるのだと思う。

 この世に生まれた時点で、もうすでにその前より神の聖別と祝福とを受けている。もともと救われているのだ。そこから、より良く生き、より良く神と悦びを共有するには、自己責任の果たし方によって報いがあるということなのだ。その自己責任の果たし方は自然法則の内にある。自分ひとりで生きてるわけではないのだから。生かされて生きている。
 いきなり、他人様のためではなく、自分と一生を共にする自身との向き合い方からなのだと思う。まずは自分自身から。


「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
4月29日(祝)に開催いたします。
『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980