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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

無意識とネガティブ・エネルギー

日下和夫(くさかかずお)

 我々におけるすべての成長や変化は 「自分は本当に誰なのかを、さらに思い出してゆくプロセス」 だと言える。 我々は無限の一面であり、もうすでに、本当は無限の存在なのである。 ところが、この物理次元にあまりにも意識の焦点を絞りすぎたために、全体の意識としての自分、無限な存在としての自分を忘れる才能を身につけてしまった。

 

 自分の意識を、いろいろな小さな部分に分けてしまって、特定のエゴの部分や性格の中に閉じこもったままにすることを覚えてしまったのである。 なかなかすごい概念を創り出したわけだ。 例えば我々は、本当はたった一つの意識でしかないのに 「表層意識」 と 「潜在意識」 というものを創り出した。 実際には、いわゆる 「無意識」 は存在しない。 

 

 だがしかし、いま見たくないものをしまっておく場所として、「無意識」 を創りだしてしまったのである。 その中にはポジティブなものも、ネガティブなものもある。 こういった無意識レベルを持つことの長所は、物事をひとつずつ体験できるという便利さである。 この物理次元は、本質的にひとつずつ、時間に沿ってものを見ていく次元であるが、統合された意識では、すべての次元の現実で起きていることを、一度に見ることができる。

 

 無意識レベルを持つことのネガティブな側面は、自分で見たくないものや怖いものがあるとき、それを無意識の中にしまい込んで知らん顔ができることだ。 そこにない振りをしても、実際になくなったわけではない。 しまい込んだものは時々出てきて、我々の肩を叩いては 「ほら、私はここにいるのだよ」 といって知らせようとする。

 

 しかし、いつかは対処しなければならない。 だから 「忘れたものを思い出す」 という概念は、別の言い方をすれば 「統合するプロセス」 であると言ってもよい。 日常生活の中の性格を形作っている分離された部分を、再び、ひとつに統合するプロセスであると言える。 

 

 また、時間と呼ばれているものも、我々の幻想であり、我々が創り出したものも、単なる道具でしかない。 我々なくして、時間は存在し得ないものだ。 我々が過去世、来世と呼んでいるものもすべて 「いま、ここ」 に同時に存在している。

 

 はっきりしているのは、いま、この人生が、我々が焦点を合わせている人生なのである。 他のすべての人生からも、常に情報が現世に漏れてきている。 ただ、普段はあまりこのことに気づいていないだけである。 なぜなら、この人生の中にうまく当てはまるような形で入ってくるからだ。 だから、他の自分の人生から、テレパシー的に直接情報が入ってきたとき、それを、当たり前のコミュニケーションととらえず、想像とか空想、インスピレーションと呼んだりしているのだ。

 

 同時に他の人生にも必要な情報が、この人生から様々な方法で伝達される。 だから、前世や過去世などにつながりを持つとき、 「私は、この人生だけの存在ではない。 いま自分が持っている性格だけがすべてではなく、それを超えた存在なのだ」 と気づくことができる。