読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

思想による束縛。

おはようございます。

 

操体の創始者、橋本敬三先生は、先の戦争後、ソ連(現在のロシア)で捕虜生活を送っていた事があったという。

その当時、寒さや食糧事情もさることながら、一番苦痛に感じたのがスターリン主義とも呼ばれる、共産主義思想の強要であったという。

 

その思想は、唯物論弁証法が組み合わさった唯物弁証法を基としていた。唯物弁証法の最頂点にあるのが「万物運動の起源は物に内在する矛盾から生じる」ということである。これを元にソ連共産党では「発展を期待するには、あらゆる矛盾を暴露し、その闘争を、激化して、現象を展開していかなければならない」という事が、根本命題として提唱されていたのだという。

これだけでは解りづらいかもしれないが、唯物論というのは、全てのものは物質から出来ており、人間の精神、心の在り方まで脳髄の産物としてしまう論なのだ。これに「発展を期待するには、あらゆる矛盾を暴露し、その闘争を、激化して、現象を展開していかなければならない」ということを加えて、それを根本命題とする。

根本命題なのだから、その根本から派生する事柄というのは・・・考えただけで恐ろしくなる。

戦争をする独裁者にとっては都合のいい思想体系かもしれないが、その体制下にある国民は悲惨だろう。それは歴史が物語っている。密告の奨励、懲罰、粛清、内ゲバ、恐怖支配、疑心暗鬼、ネガティブなエネルギーのかたまりのように思える。

 

弁証法自体は悪いものではない。プラトンソクラテスを出して難しく考えればきりがないが、簡単に考えれば日々の生活の中で身近にある。

例えば、何か指摘を受け、それを素直に聞き入れ、より良く変わっていく。という事や、からだからのサインを感じ、生活の間違いを正し、より良く生きられるようになる。という事も弁証法だと思う。

しかし、唯物論弁証法を組み合わせるのは良くない。何か指摘する場合でも、思いやりの心がなければならない。その人が潰れてしまうような、その人の可能性の芽を摘んでしまうようなことは言わない方がいい。

また、その人との間柄、その場、その時に応じた言い方というのもあると思う。まぁ大抵は「それを言っちゃあ、おしめえだよ」という事は自然に感じとり、言葉に出さないでおいているのではないだろうか。

 

弁証法も心との兼ね合いが大切と思う。人間を物として捉え「万物運動の起源は、物に内在する矛盾から生じる」では、人間の尊厳も何もあったものじゃない。

この場合の、内在する矛盾とは陰(-)と陽(+)を指す。モノコトナリの起源をさかのぼり、陰(-)陽(+)までは認めるが、それ以上は無視して、無いとする。それでは心無いではないか。

そんな思想では、心無い一言を平気で言えるようになってしまう。恐怖政治の体制下であったなら、自分の為ならと密告も横行するだろう。だから恐怖政治は自然の秩序のもとに崩壊、消滅する。そんな思想は現実的ではない。人間の創造る現実はもうちょっと温かいはずだ。

 

東洋の思想では、陰(-)と陽(+)は異質の勢力であり、その陰(-)と陽(+)を設定したのは太極だとする。 無極無限の太極が「愛と調和」という意志でもって陰(-)陽(+)を設定し、愛と調和の意志の元に様々な現象が展開されるという事なのだ。

だから、人間一人一人、万物すべてに、愛と調和という太極の意志が貫通している。こちらの思想の方が現実の本質をついていると思う。また、こちらの思想の方が、ずっと心温まり、安心するではないか。

ネガティブなエネルギーの方へ心が傾いた時、このような本質をついた思想に、想いを馳せるのも善いと思う。

 

2016年春季東京操体フォーラム 4月29日(金)昭和の日 開催決定

速報などの詳細は東京操体フォーラムHPをご覧ください